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2025年11月9日礼拝説教要旨

            愛には恐れはない


『イエスがある町におられた時、全身重い皮膚病になっている人がそこにいた。イエスを見ると、顔を地に伏せて願って言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。イエスは手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、重い皮膚病がただちに去ってしまった』。
(ルカ福音書5章13節)


 このところは、重い皮膚病の人にイエスの愛が注がれたところです。イエスの愛は弱い者、貧しい者、誰からも相手にされないような取税人のような人にも近づいて食事をされたので、ザーカイのような人も救われたのです。そしてイエスは、「人の子がきたのは失われたものを尋ね出して救うためである」と言っておられます。

さて、ここでイエスが接せられた重い皮膚病の人は、社会から隔絶され、差別された人でした。ところがイエスは彼に近づかれただけでなく、「手を伸ばして彼にさわり」祈られたのです。これはなんという愛ではありませんか。そんなことをすれば、病気が感染するかもしれない。また人からどう言われるかという恐れがありますが、イエスはそんなことには頓着しませんでした。

ヨハネ第一書18節には「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く」とあります。イエスは愛の人ですから、病気が移るとか、人に誤解されて何か言われる、といった恐れはありませんでした。わたしたちも真に人の愛に満たされたら、おそれなく人々に接するようになれるのです。まだ、恐れるようなところがあるなら、まだ愛が全うされていないからです。

柘植不知人先生が救われたのは、1913年(大正2年)の9月21日のことです。そして11月9日に洗礼を受けておられます。救われて間もなく、行方不明の妹さんが広島駅で行き倒れの状態で発見されました。保護願いを警察に出していましたので、直ぐに先生のところに知らせがあり、先生は広島に行き妹さんを引き取り、神戸の荒田町の自宅で看病されたのです。

妹さんは結核の第三期で危険な状態でしたが、二階を病室にして介抱されました。ところが奥さんは自分の布団を妹さんの横に敷いて、文字通り「起居を共にして」看病をされたのです。そして妹さんの食べ残した物を、その妹さんの見ている前できれいに食べられたのです。それを知って柘植先生は、「御霊の常識をわきまえなさい」ときつく言われましたが、奥様は「こんなことを恐れているようでは、妹の魂を救うことができません」といって、先生のいうことを聞かなかったのです。つまり柘植奥様は救われて間もないころで、恵まれ愛に満たされておられたので、「愛には恐れはない」とあるように、恐れるこころがなかったのです。

こんな状態ですから、妹さんはときどきヒステリーを起こして暴れるのです。そんなとき柘植先生が押さえつけてもはね飛ばすほどの力です。ところが柘植奥様が「もうおやめなさい」と言うと、「はい」と言っておとなしくなったというのです。それを見て柘植先生は、男の力でも押さえつけられないのに、妻の一言をきくとは、「人を救うのは言葉ではなく愛の行為である」と、説教のなかで語っておられます。

その奥様が結核に感染して須磨の療養所で養生をしておられたときのことです。先生が外から帰ってこられたところ、その妹さんが手を合わせてなにか祈っているのです。そこで先生が、「何を祈っているのか」と聞くと、「義姉さんの病気が一日でも早くよくなるように神様にお願いしているのです」と答えたというのです。

 

小学校の家庭訪問の日に、訪ねて来られた若い先生が、玄関に飾ってあった聖書のみ言葉を見て、「お宅はクリスチャンですか」と聞かれたので、お母さんが「家族みんなで教会に行っています」と答えると、その先生は「それでわかりました」と言われたので、「どういうことですか」と聞きますと、先生はこんな話をされたのです。

授業中に気分がわるくなった女生徒が、いきなり嘔吐をして机の上から床一面に飛び散ったのです。生徒たちは「きゃー」と叫んで教室の隅に逃げましたが、先生は困ったなあと思ったそうです。こんなとき後片付けをするのは教師と決まっているからです。ところが一人の女生徒が教室の後ろの棚から古新聞を持ってきて、泣いている女の子に「なにも心配しなくてもいいよ」と優しく声を掛け、机の上と床の汚物を片付けはじめたのです。その何気ない仕種に先生は驚いたそうです。教師の出来ないことをこの生徒が平気でしているのです。そして、この子供の家庭は一体どんな家庭だろうか」と関心を持つようになったそうです。この子供は、今はある牧師の妻として教会に仕えております。
                                                   坊向輝國