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2024年11月24日聖日礼拝説教要

聖書箇所  ヨハネ福音書3章16節~21節      

     「福音と二種類の人々」 

「神はその独り子であられるイエス・キリストをこの世に遣わされ、十字架上で私たちの罪の身代わりとして死なせるほどに、私たちを愛してくださった。それは、イエス・キリストを信じる人がだれであろうと、滅びることがなく、救われるためである。」        
(ヨハネ福音書3章16節[現代訳])


「わたしは世の光です。わたしに従う者は決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」         
(ヨハネ福音書8章12節)

 

 「ヨハネ福音書3章16節」の御言葉は、主イエス様が十字架に架かられ三日目に復活されてから60年以上経った紀元90年頃に記されました。当時「主イエス様の十字架と復活」は、みんな知っていたと思われるので「十字架」という言葉は割愛されていますが、「聖書の中の聖書(小さな聖書)」「小さな福音書(小福音書)」と呼ばれることすらあり、「これほど有名な聖句はない。聖書の他の箇書を知らなくても、この『ヨハネ3章16節』を理解して、そのまま受けいれただけで、その人は救われる。」と言われるほどです。

 また、この「3章16節」は聖書の文脈の流れから、「3章14節」の主のご宣言を著者ヨハネが言い換えて教えているところです。分かりやすい翻訳の「現代訳聖書」では「神はその独り子であられるイエス・キリストをこの世に遣わされ、十字架上で私たちの罪の身代わりとして死なせるほどに、私たちを愛してくださった。それは、イエス・キリストを信じる人がだれであろうと、滅びることがなく、救われる(永遠の命を得る)ためである。」(ヨハネ福音書3章16節[現代訳])と翻訳しています。これは、キリスト教のメッセージを完全に要約して、私たちへの「神様の真(まこと)の溢れる愛」を語っています。その「愛と救いの恵み」に与(あずか)るために必要な唯一のものは「信じる信仰」です。

 なお、「神が御子を世につかわされたのは、・・・ 御子によって、この世が救われるため」(3章17節)なのに「信じない人」が現れます(3章17節~18節)。主イエス様が来られて、十字架で罪の赦しを成就されたのに、その主を信じない人が出てくるのは「本当に悲しいこと」です。まして、家族・近親者の方が、救い主を拒まれるのは「最大の痛みと苦しみ」になります(ルカ福音書16章27~31節参照)

 このように「主の十字架による罪の赦しと復活による永遠の命の福音」が語られるところにおいても、聞いた人々は二手に分かれます(使徒28章24節)。それは2千年前も現代も変わりません。しかし、ラジオ牧師だった羽鳥明先生の弟の純二さんが東京帝国大学で化学を専攻され共産党に入党されて「福音」を拒まれていたのに、ある時、共産主義に失望して行き詰った時、「福音」に心を開かれ、信じて救われ、後に牧師になって活躍されたと、以前お話ししました(202447日礼拝説教)。私達は諦めずに、愛する家族・近親者の救いを祈るようにとお勧めしました(使徒16章31節)。                 

 最後の箇所(ヨハネ福音書3章19~21節)では、「世の光」として来られた主イエス様と人々の対応にいついて記されています。先程も述べましたが、人間は福音を「信じる人」と「信じない人」の二つに分かれます。同様に人間は「光に来る人」と「光よりも闇の方を愛して、光を憎む人」に分かれます(ヨハネ福音書3章19節~20節)。でも、「闇の方を愛して、光を憎む人」が「光」に来るのです。最後に、それを体験された伊藤栄一先生の証を紹介します。

伊藤栄一先生は、鉱山業の経営者を父親として生まれ裕福でした。父親の会社の従業員から「お坊っちゃん、お坊っちゃん」と呼ばれ、「俺は偉いんだ」という傲慢な思いを持っていました。ところが15歳の時、父が事業に失敗し倒産しました。こうして落ちぶれると回りの人々は手のひらを返したかのように先生たち一家を冷遇しました。食事にもこと欠き、借金取りが来て、父母は夫婦ケンカが絶えませんでした。先生の家庭は、身の置きどころもない暗くみじめなものに変りました。

 先生は、旧制中学・高校・大学と進学するはずが、輸出業の小さな会社に勤めることになり、夜は私立の夜間中学に通う「苦学生」になり、一日中働いた後は、勉強には身が入らず疲れて居眠りして教師に叱られる日々が続きました。「患難なんじを玉にす」との諺に発奮して一時励んだものの、いつの間にか心は萎えて映画館に入り浸る日常に落ちてしまいました。

 学校に行かず、街をぶらつきました。映画が見たくても財布は空でした。そんな時、立ち並ぶビルの谷間の一軒家から、心に響く清らかな賛美歌が聞こえました。そこは、顔がみな明るく輝く人々の集う教会でした。先生は勇気を出して玄関のドアを開け、一番後ろのベンチに腰かけました。

 讃美歌が終ると、西洋のおじいさんが現われ「こんばんは。皆さんよくいらっしゃいました。マカルピン(金城学院の創設に尽力した宣教師で神学博士)と申します。イエス・キリストのことをお話しします。」と言って「ヨハネ福音書」の「わたしは世の光です。わたしに従う者は決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(同書8章12節)の御言葉から「どんなに暗い生活を送っている人も、このイエス様を心に迎え入れて生きる時、光の子として、明るい存在に生れ変ることができる。ダメ人間を、ダメでない神の子どもにして下さる」と熱心に語られました。

 当時の栄一先生は、世を呪い親さえも呪い、勤めも勉学もいい加減で「このままいったら破滅だ」と思っていましたので、説教を真剣に聞きました。

 最後に、博士は「お祈りの前に、皆さまにお尋ねします。今晩、この中に、ほんとうの喜びと平安を持っていない人はいませんか。清い、善の生活を望みながら、反って、毎日やみの悪い方に惹かれていながら、それでも本当の救いがほしいと願う人はいらっしゃいませんか。ちょっと手を上げて下さい。今晩その方の中に、世の光であられるイエス様の救いの命が注がれますようにお祈りします。」と何度も語られました。

 栄一先生は、「どうして、この先生は、俺のことをこんなによく知っているのか。だれかが告げ口したんだろうか。」と思いました。とうとう栄一先生は、「どうせ知られているんだから、今晩イエスさまを心に迎えよう。私はやみの子です。どうか救って頂けるようお祈り下さい」という思いで手を上げました。博士は、栄一先生の頭に手を置いて祈ってくださり、近くの教会を紹介されて求道の生活に入りました。

ある日、お父さんが「お前は、近頃ちょっと変ったな。暗い毎日だったのに、どうしてそんなに明るい顔になったんだ。この頃、よく『ありがとう』とか、『ごめんなさい』とか言うようになったが、いったいどうしたんだ」と聞かれました。栄一先生は、マカルピン博士がおっしゃった通り「この心の中には光が与えられているんだ」と悟り、その年(1920年)12月27日に洗礼を受けました。

闇の方を愛して光を憎む伊藤先生も、「光」に来ました。今年のクリスマス、私たちの周りの方々に、「光」である主イエス様の許に招きしましょう。

              2024年11月24日(日)聖日礼拝説教要旨 竹内紹一郎