聖書箇所 ヨハネ福音書2章1節~12節
「いつも全力を注いで 主のわざに励みなさい」
「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」
(ローマ書10章17節)
「水を汲みし僕は知れり」 「水をくんだ僕たちは知っていた」
(ヨハネ福音書2章9節)
「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」
(Ⅰコリント書15章58節)
今日は、主イエス様が公の伝道生涯で「最初に行われた奇跡」から、主の御心を伺います。
カナ村の婚礼にイエス様と弟子達が招待され(ヨハネ福音書2章1、2節)、母マリヤも手伝っていました(2章1,3,5節)。花婿とマリヤは親戚でしょう。1週間にも及ぶこの婚宴の最中に、ぶどう酒がなくなりました。マリヤは頼りになる長男イエス様に「ぶどう酒がなくなってしまいました」と言いました(2章3節)。それは、近所の村々の「誰か知った人にぶどう酒を借りて来てちょうだい」との意味が含まれていたのでしょう。
ところが主イエス様は、母を突き放すように答えられたように思えます(2章4節)。実は「婦人よ」とは、高貴な婦人への敬称であり、「わたしの時」(7章6節、8節、30節他)とは主の十字架と復活の時を意味しています。主は「およそ三十歳」(ルカ3章23節)で「公の伝道生涯(公生涯)」を始め、十字架の死と復活で全人類を救うために進んでおられましたが、マリヤはその事が理解できず、僕(しもべ)たちに息子の指示に従うように言いました(2章5節)。
ある牧師は、マリヤのように「主イエス様にお願いすることは、決して悪いことではありません。しかし、だからといって、自分の思い通りに主イエス様を動かそうとしてはいけないのです。イエス様は、人間のしもべではありません。イエス様が、私たちの言うことを聞かれるのではなく、私たちが、まず、主イエス様の仰ることに耳を傾け、それに従うことが大切なのです」と言われます。
キリスト教信仰とは、この世に多く存在する信心、自分勝手な願いを叶えるために、神々を呼び出す、どこかの神社にお参りするご利益(ごりやく)信仰ではありません。キリスト教信仰は、「願う」前に、まず「聞くこと」から始まります。「ローマ人への手紙」の有名な御言葉に、「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」(同書10章17節)とあります。主イエス様は、母親のマリヤの願っていたことは全く異なった方法で必要を満たされ、救い主の神としての栄光を表されます。
その婚礼の行われた家には、「四、五斗もはいる石の水がめが、六つ」ありました。「四、五斗もはいる」とは古い表現です。最新の翻訳では「二ないし三メトレテス(約39ℓ)入りの」となっていまして、約100ℓ入る水がめが6つあり、総容量は約600ℓになります(ヨハネ2章6節)。主イエス様は僕に、水がめに水を満たしなさいと命じられました。僕らは御言葉に従って、600ℓの水を井戸から何回も汲み「かめの縁まで水を満たし」ました(2章7節)。すると、この時、水はぶどう酒になりました。
「料理がしら」がそれを味見した時、花婿が極上のぶどう酒をそれまで取っておいたと思って、花婿を褒めました(2章8~10節)。世間は神様が奇跡を行われても、人の業(わざ)として人を褒めます。しかし、主の御言葉に従った「水をくんだ僕(だけは、その奇跡を)知ってい」(2章9節)ました。
私は、25年近く前の1999年4月に活動休止状態の深谷西島教会には赴任し、礼拝堂の扉を開き、教会活動を再開させていただきました。そこでは床が傾いた移築35年の礼拝堂での数人の礼拝でした。最初の1999年度は、私が説教して家内が奏楽し、小学校6年生だった娘が気を聞かせて礼拝堂の長椅子に腰かけて私の説教を聞いてくれていました。三歳になる息子は家族以外だれもいない礼拝堂で遊んでいました。そんな、家族だけの礼拝が教会活動を再開した最初の年は2回もありました。
そんな中、赴任して1年ほどして借地であった教会の土地を買い取って建物を建てるようにと、神様は御心を示されました。その時、教会は現住陪餐会員5名(内一名は病床にあった前牧師夫人。あと一名は中学1年生の我が家の娘)でした。
誰も「新会堂が建つ」と思ってもいなかったのでした。でも、数少ない教会員は何としても教会を再建するために土地を買い建物を建てたいと祈って、全国の教会関係者に募金の趣意書を送りました。印刷した募金趣意書に手書きで「小さな教会ですので、どうか深谷伝道のため、借地買取・牧師館建築をご支援ください。」と一所懸命に毛筆やマジック、ボールペンで書いて全国の関係教会と関係者へ送りました。
皆さんが心配してくださって、建築献金を送ってくださいました。毎日のように3万円、4万円と募金が送られてきました。ある時は私達が全く知らない、茨城県の教団教会の信徒の方が百万円の建築献金を送って下さいました。当時の日銀総裁の速水優さんも日本基督教団教会の信徒だったので1万円の献金を送って下さいました。「活水の群」からも教会と信者さんたちから多額の献金を送って頂きました。
そうこうしているうちに、総額5千数百万円が集まり「土地と新会堂の建築費用」が満たされ、公簿面積107坪の商業地域の土地に床面積が約60坪の「新会堂兼牧師館」が、2001年のクリスマスの直前に建ちました。その時、祈って募金趣意書に手書きの「お願い文」を書いてくださった人たちは「神様が奇跡を起こしてくださった。神様は生きておられる。」と聖名を崇めました。
2000年前も、20数年前も、現代も変わりません。現代の私達にも同じ神様を、今礼拝しています。ですから、主イエス様の御言葉を聞いて、従い、与えられた労を厭うことなく素直に従っていくなら、御自身の栄光を現わしてくださいます。
「コリント人への第一の手紙」には、 「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」(同書15章58節)とあります。神様は、御言葉に従って、労する取り組みを見ておられ、それに応えて御自身の栄光を現わしてくださいます。その時、私たちは心から「神様は、生きておられる」と聖名を崇める幸いに至らせて頂けるのです。
2024年8月25日(日)聖日礼拝説教要約 竹内紹一郎 |