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2024年3月17日聖日礼拝説教要

聖書箇所   使徒行伝28章7節~15節      


「聖徒(クリスチャン)の交わり」


 「わたしは、祈のたびごとに、絶えずあなたがたを覚え、いつかは御旨にかなって道が開かれ、どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っている。このことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたしが霊により、御子の福音を宣べ伝えて仕えている神である。わたしは、あなたがたに会うことを熱望している。あなたがたに霊の賜物を幾分でも分け与えて、力づけたいからである。それは、あなたがたの中にいて、あなたがたとわたしとのお互の信仰によって、共に励まし合うためにほかならない。」
(ローマ書1章10~12節)

 「愛と善行とを励むように互に努め、ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。」
(ヘブル書10章24節、25節)


破船で全てを失ったパウロ達は(使徒27章)、打ち上げられたマルタ島の「首長(現在の地方公共団体のトップの「くびちょう」のこと)」のポプリオの所有地に招かれて、親切なもてなしを受けました。ポプリの父親が赤痢を発症し、高熱で苦しんでいたことを知ったパウロ達は、「その人のところにはいって行って祈り、手を彼の上においていやし」たのでした(28章7、8節)。この癒しの奇跡は、たちまち町の評判となり、その噂が町の人々に広がり、多くの人々がパウロ達の祈りと処置で病を癒されました(28章9節)

このようにな「癒しの奇跡」によって、パウロ達はマルタ島の人々から「非常に尊敬」されて、「必要な品々」も備えられました(28章10節)。勿論、主イエス様の福音が語られて伝道が行われたことは、言うに及ばず明らかでした。ある牧師は「思いがけない『海上の難』と『難船』が、思いがけないマルタ島伝道の機会となり、また思いがけないまむしの難がきっかけとなって、復活の主の力が証明されることになる。そして、それが次の伝道への旅立ちの準備を可能にする。思えば伝道というのは、思いがけない神の奇蹟の連系のうえに成り立っている。」と言われます。

 思いがけない悪い出来事の「大嵐で船が破船し」全てを失うような「マイナスの出来事」、「起こってほしくない事」が起こったとしても、それすら神様は用いて「益」としてくださるのです。「今日は運が悪い」「ついてない」「最悪だ」と思う時でも、主にお従いすると「益」に変えられて行きます。

 今から、130年程前ですが、岡山県と島根県の間を行き来するのに「出雲街道」という道がありました。ある時、二人連れのクリスチャンがバックストン先生のおられた松江から「出雲街道」を通って岡山に向かう途中、山の中で「わらじのひもが切れた」のでした。日本人にとっては「縁起の悪い事」でした(昔の葬儀の「野辺送り」では、墓に履いて行った「わらじ」は鼻緒を切って捨ててくる風習がある)。致し方なく山の中の一軒屋のみすぼらしい家にわらじを分けてもらうために入ったところ、結核を患う人がいたのです。二人がお祈りすると病が癒されました。その後、この家の人に伝道したので救われる人が起こされていきました。「鼻緒が切れると縁起が悪い」のではなく、それが「魂の救い」の「切っ掛け」になりました。一切を失いマルタ島に打ち上げられたパウロ達の難船もマルタ島伝道に用いられました。私達は、何が起こっても「万事を益」とされる神様を見上げましょう。

続く「28章11節~15節」は、マルタ島からローマまでの旅路が記されています(週報の裏表紙の地図を参照ください)。「【28章11節】三か月たった後、わたしたちは、この島(⑫:マルタ島)に冬ごもりをしていたデオスクリの船飾りのあるアレキサンドリヤの舟で、出帆した。【28章12節】そして、シラクサ(⑬)に寄港して三日のあいだ停泊し(多分、帆船なので、三日間、南風が吹かなかったのでしょう。ところが、4日に、南風が吹いてきて)【28章13節】そこから進んでレギオン(⑭)に行った。それから、一日おいて、南風が吹いてきたのに乗じ、ふつか目にポテオリ(⑮)に着いた。(この「ポテオリ」は、南部イタリヤの主要な港で、エジプトの小麦が集まる港です。ローマまでは180kmあり、歩いて1週間かかったそうです。)【28章14節前半】そこで兄弟たちに会い、勧められるまま、彼らのところに七日間も滞在した。(この七日間の間に、「ポテオリ」のクリスチャンが、パウロの到着をローマのクリスチャンに知らせたと考えられる)。【28章14節後半】それからわたしたちは、ついにローマに到着した。【28章15節】ところが、兄弟たちは、わたしたちのことを聞いて、アピオ・ポロ(⑯、ローマから70kmの宿場町)およびトレス・タベルネ(⑰、「アピオ・ポロ」の宿場町からローマに向かって16km行った所です)まで出迎えてくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し勇み立った。」

 実は、パウロが3年前にローマのクリスチャンに有名な「ローマ人への手紙(ローマ書)」を書いていました。彼らは「ローマ書」を3年の間に何回も読んで、大いに恵まれていたのではないか思います。

一方、パウロ自身も「ローマ書1章」で「わたしは、祈のたびごとに、絶えずあなたがたを覚え、いつかは御旨にかなって道が開かれ、どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っている。このことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたしが霊により、御子の福音を宣べ伝えて仕えている神である。わたしは、あなたがたに会うことを熱望している。あなたがたに霊の賜物を幾分でも分け与えて、力づけたいからである。それは、あなたがたの中にいて、あなたがたとわたしとのお互の信仰によって、共に励まし合うためにほかならない。」(同書1章10~12節)とローマのクリスチャンに語っていましたので、彼ら「ローマ人」も一日も早く「ローマ書」の御言葉を記したパウロに会い、直接に御言葉を聞いて、更に恵まれたいと思って50数kmを歩いて「トレス・タベルネ」に行ってパウロを迎え、70kmを歩いて「アピオ・ポロ」の宿場町まで来てパウロの会ったのでした。

「キリスト教は交わりの宗教」と言われます。「主にある交わり」によって、更に恵まれ、祝福された信仰生涯が与えられます。一本の薪では火が消えていますが、何本もあると消えることなく燃え続けます。クリスチャン生涯も、共に集まって礼拝し、交わって、励まし合うことが大切です。そのために「教会」が備えられ、日曜礼拝と交わりの機会が与えられています。

 ですから、「ヘブル書10章」は「愛と善行とを励むように互に努め、ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。」(同書10章24節、25節)と勧めています。教会の交わりの中で、生命の御言葉にあずかり、共に励まし合って天の御国を目指しましょう。

                    2024年3月17日(日)  聖日礼拝説教要旨 竹内紹一郎