本文へスキップ

message

2024年3月10日聖日礼拝説教要

恵まれたクリスチャン生活を送るために(3)


        「み言葉に、養われる生活」


「キリストのみ言葉をあなたがたの中に、豊かに宿らせなさい」。
(コロサイ書3章16節)


 聖書のみ言葉は、わたしたちの霊的糧です。わたしたちは毎日3度、人によっては二度の人もありますが食事をします。これは肉体を養うために大切なことです。これを怠ると体力は衰えてしまいます。それに対して聖書のみ言葉はわたしたちの霊的魂を養うために大切なものです。ですから、恵まれた日々のために、クリスチャンは日々聖書を読んで、霊的魂を養っていくことは大切です。

 柘植不知人先生は、「百のみ言葉は百人力。千のみ言葉は千人力」と言われました。つまり聖書のみ言葉をたくさん自分のものにしたら、それだけ力強い生活を送ることができるといわれたのです。

 また、アメリカが生んだ大衆伝道者ムーデーは、「み言葉に満たされることは、聖霊に満たされることと同じである」と言いました。ですから、どうぞ皆さんも聖書を読み、与えられたみ言葉を自分のものにしてください。そうしたらサタンの誘惑にも負けない、力強い人生を送ることができるのです。

 マタイ福音書4章にイエスが荒野でサタンの誘惑に打ち勝たれたところがありますが、このときイエスが答えられたみ言葉は、旧約聖書の申命記のなかのみ言葉でした。ことのほか申命記を大切にし、小さいときから良く読み、暗唱できるほど読んでいたといわれています。ですから、サタンに誘惑されたときも、すかさずみ言葉がでてきたのです。

 次に、詩篇119篇百130節には「み言葉が開かれると、無学な者にも知恵が与えられる」とあります。わたしたち活水の群の創始者、柘植不知人先生は大正時代のリバイバルの器でした。当時の東京で五百人以上の聴衆を集める人は二人いる。ひとりは救世軍の山室軍平先生と、もうひとりは東京落合の柘植不知人先生だと言われていました。

 ところが、柘植不知人先生は学歴のない無学な人でした。先生が子供のころに明治新政府は学校制度を制定しましたが、この当時の小学校は、今日の様な義務教育ではなく授業料を払わなければならなかったので、柘植少年は家が貧しいために行くことができなかったそうです。

 ところが、この先生が聖霊に満たされ、み言葉に満たされたときリバイバルの器とされ神から尊く用いられたのです。

 次に、詩篇119篇81節「わが魂はあなたの救いを慕って絶えいるばかりです。わたしはみ言葉によって望みをいだきます」とあります。人生の逆境にあるとき、聖書のみ言葉が希望をあたえてくれるのです。今から30年前に阪神大震災に遭遇しました。そのときある人が「先生、み言葉をください。み言葉で慰めてください」と来られました。

 食料もなく水もなく、大変なときに、彼らがいちばん求めたのはみ言葉だったのです。み言葉にはそのような大きな力があるのです。

 2010年の10月13日に、世界を震撼とするような事件が南米のチリーで起こりました。8月5日にサンホセ炭鉱で落盤事故が起り、33名の炭鉱夫が、地下700メートルに閉じ込められました。そして一時は絶望視されましたが、33名全員の生存が確認され無事が確認され、救出作業が行われました。

 しかし、人間か脱出できるだけの穴を掘って救出するのには、クリスマスの頃まで(約5ヵ月ほど)かかるのではないかと言われていましたが、そんなに長い間、高温多湿の狭い空間の中で大丈夫かなと心配していましたが、69日目(10月13日)に特殊カプセルでひとりずつ、奇跡的に救出されたのです。

 わたしもテレビにかじりついて救出される様子をみていましたが、助け出された人たちはみな元気でした。そして、2カ月の間、狭い坑道のなかでよく耐えられたものだと思いました。ところが、ある書物を読んで一つの答えを得たのです。それはオマールという最年長の炭鉱夫が小型の新約聖書を持ち込んでいて、聖書のみ言葉を開いて希望を捨てないようにと励ましていたそうです。ですから、皆から「牧師さん」と呼ばれて信頼されていたそうです。オマールさんが開かれるみ言葉で、みんな不安にならず耐えることができたのです。「わたしはみ言葉によって望みをいだきます」。このみ言葉のとおりになったのです。

 皆様も、何か問題があって途方に暮れるようなとき、聖書を開いて、み言葉から慰めを得てください。