待ち望み祈りの会
それから彼らは、オリブという山を下ってエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に許されている距離のところにある。彼らは、市内に行って、その泊まっていた屋上の間にあがった。その人たちは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダとであった。彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。
(使徒行伝1章12節~)
今日はペンテコステの待ち望みの祈り会の話をします。イエスが復活後40日目に天の昇天になされましたが、その後、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束(精霊降臨)を待っているがよい(1章4節)」とのお言葉に従って、待ち望みの会をしていたところ、10日目の5君節の日に精霊が下ったのです。これがペンテコステ(精霊降臨日)です。そして弟子たちは精霊に満たされて1つになり、キリスト教会が誕生したのです。今から2千年前のことです。
このとき、一同に集まっていたのは120名とあります(15節)。そしてそのメンバーの名前が記されています。最初はイエスの11名の弟子たちの名前があるのはいうまでもありません。その次に、「婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に」とありますが、これは驚くべき発見です。
イエスの兄弟たちのことがはじめて聖書に登場するのは、マタイ福音書12章46節です。イエスが伝道をしておられるところに、母マリヤと兄弟たちが来たことが書いてあります。この当時は兄弟たちはイエスの働きを理解することができませんでした。そして父ヨセフが亡くなったので、長男のイエスが家に帰って父の事業を継いで母を安心させるように求めてきたのです。
また、13章53節には、その兄弟の名前が記されています。「この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちもみな、わたしたちと一緒にいるのではないか」とあります。この兄弟たちとはイエスは精霊によって処女降誕した人でありますが、その後、マリヤは許嫁のヨセフと正式に結婚しました。そして二人に与えられた子供です。
しかし彼らは、初めのうちはイエスの立場はなかなか理解できなったのです。しかし、イエスの最後の十字架と復活を通じて、彼らはイエスの存在を理解することができたのです。このことを通じて教えられることは、わたしたちもときには、自分のことが正しく理解されなくても、また誤解されるようなことがあっても、耐え忍んでいくならば、神はいつの日か、わたしたちの立場を理解される日がくるのです。
詩篇37篇5節以下に「あなたの道を主にゆだねよ、主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。主の前にもだし、耐え忍んで主を待ち望め」とあります。ここに「主の前にもだし」とありますが、これは、いちいち言い訳しなくとも、また弁解をしなくても、神はすべてをご存じの神ですから、すべてを明らかにしてくださるのです。
昔、群馬県の前橋で大火がありました。そのとき、「火元は住吉屋さんだ」と訴える人があったので、「住吉屋の大火」と言われるようになりました。ところが住吉屋さんは、いくら考えても火元といわれるところには火の気がなく納得できませんでした。そして訴えた人を恨んでおりました。
そんなときに、親戚の青年が火事見舞いに来てくれました。その青年は帰り際に「わたしは貧乏伝道者なので、なにもお見舞いをあげられないが、わたしのいちばん大切なものをあげます」と言って、小型の新約聖書を置いて帰りました。そこで住吉屋さんはそお聖書を読んでいるとき、イエスが十字架の上で「父よ、彼らをゆるしてください。彼らは何をしているのか、わからずいるのです」と自分を迫害して殺そうとしている人たちの罪の赦しを読んで、彼は変えられたのです。そして自分を訴えた人を赦すことができたのです。
それからしばらくして、町外れの宿屋から使いの者が来て、「泊まっているお婆さんが危篤で、住吉屋さんに会いたいと言っている」と言ってきたのです。そこで宿屋を訪ねると、家賃が払えないために布団部屋に寝かされているお婆さんに会いました。「住吉屋さん、あなたにはすまないことをした。あの大火はわたしが付け火をしたのです。隣の家に恨みがあって火を付けたのに、強風のために住吉屋さんの方に火が回って、あなたの家が火元のように言われるようになって申し訳」と謝り、それから間もなく息を引き取ったのです。これで真相が判明し、だれからも「住吉屋の大火」と言われなくなりました。神が真相を明らかにしてくださったのです。
坊向輝國
|