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2023年5月21日聖日礼拝説教要旨

聖書箇所 使徒行伝19章1節~10節  


      主のわざに励みなさい  


「あなたがたのうちに 働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」
 (ピリピ書2章13節)

すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。」             
 
(
ピリピ書2章14節)

「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼(バプテスマ)を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」  
(使徒2章38節)

「きょう、み声を聞いたなら、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」                  
(ヘブル書4章7節)

「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」              
(Ⅰコリント書15章58節)

 

 エペソは、今のトルコの国の西南部の「アジヤ州」の大都会で、政治的にも重要であり、陸上と海上の交通と商業の要衝としても知られ、「古代世界の七不思議」の一つの「女神のアルテミスの神殿」もありましたので、多くの人の行き来があり、当時の「アジヤ州」で伝道をするのに最も重要な都市でした。

 しかしパウロは、何回もエペソの町の伝道を止められました(使徒16章6節)。私達の人生も、「自分の思い通りにならない」ことが多くありますが、一方で「願い」「志(こころざし)」「計画」が成就することもあります。「ピリピ人への手紙」には「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされる」(ピリピ書2章13節)とあり、一時は道が塞がれても、「御旨の時」に実現への道が開かれます。大切なのはすべてのことを、つぶやかず疑わないで」(ピリピ書2章14節)、今起こってることに従うことです。御旨なら必ず成就への道が開かれます。信じることは待つことです。この時パウロは、道が開かれて念願のエペソ伝道に約3年(使徒20章31節)も携わることになりました。

 このエペソ伝道の最初に、パウロは12人程の弟子を「正しい信仰」に導きました(19章1節~3節)。どの時代にも、「正しい救いに至る信仰」から外れて、「間違った、救いからズレた信仰」に至るグループが起こります(「旧統一教会」の「世界平和統一家庭連合」「エホバの証人」「モルモン教」)。この時パウロは、彼らに「信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか(主イエス様を罪からの救い主、そして主なる神様として信じて救われた時、必ず、与えられる『聖霊』を受けたのですか?)」(19章2節)と尋ねました。

 「使徒行伝」には「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」(2章38節)とあり、「罪を犯してしまって、悪いことをしてしまった」と思った人が、「罪を悔い改めて、十字架で尊い血潮を流して、罪を完全に償って下さった主イエス様の御名前によってバプテスマを受けたら、必ず、神様からの一方的な賜物(ギフト)しての『聖霊』を受け」るのです。

 パウロがエペソの町で最初に出会った「正しい信仰に立っていないお弟子たち」は、パウロの質問に対して、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」(19章2節)と答えました。彼らは「ヨハネの名によるバプテスマ」しか受けていなかったのでした(19章3節)。

 当時は、キリスト教会が誕生して20数年で、ペテロやヨハネやパウロを始め正しい福音信仰を伝える伝道者が全ての地方に行くことは出来ず、間違った教えが蔓延(はびこ)っていたのでしょう。そこでパウロは、「ヨハネのバプテスマ」は来るべき方としての主イエス様を指さすもので、「悔い改めの徴」以上のものではないと教えたのでした(19章4節)。

 私達が、「罪を赦して頂く」ために、「心から悔い改める」ことは大切でが「悔改め」自体が罪の赦しをもたらすのではありません。「罪の赦し」のためには「償いの代償」が支払われるため、イエス・キリスト様が十字架で尊い血潮を流して「償い」をして下さったのです。ですから、「クリスチャンの受けるバプテスマ」は、この主イエス様を「救い主と告白するバプテスマ」です。そして「罪の赦し」と同時に神様からの一方的な賜物としての「聖霊」に与ることが出来るのです(2章38節)。

 この時、パウロによる「まことの福音の説き明かし」を聞いた人々は「主イエスの名によるバプテスマを受け」(19章5節)ました。更に、パウロによる「救いの教え」が正しことを証しするために  「聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をし出した」(19章6節)のでした。 現代も、「正しい福音」を伝える教師が必要です。「働き人」が起こされるようにお祈りお願いします。

 この後、パウロは、いつものように「ユダヤ教の会堂」に行って伝道を開始し「三か月のあいだ、大胆に神の国について論じ、また勧めをした(説得しようと努めた[新改訳])」のでした(19章8節)。ところが、エペソでもユダヤ人のある人たちが「心をかたくなにして、信じようとせず」、公然と罵って反対したのでした。それは彼らの「永遠の滅び」への歩みの徴です。「へブル書」には、「きょう、み声を聞いたなら、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」(ヘブル書4章7節)とあります。御言葉を「素直に」また「単純」に信じて参りましょう。そこで「神様の恵み」を受けるのです。

 パウロは、そのような「頑ななユダヤ人」を置いて、弟子たちを引き連れて「ツラノの講堂」に移りました(使徒19書9節後半)。そして「パウロはこの講堂を午前11時から午後4時まで使用し」(「西方写本」南ヨーロッパ特有の習慣で「長い昼休み」の時間)、福音を伝えていたと思われます。

 そのような伝道を、パウロは「2年間の長き」にわたって、「毎日」続けたので (19章10節)、「アジヤに住んでいる者は、ユダヤ人もギリシヤ人も皆、主の言(ことば)を聞いた」(19章10節後半)のでした。アジヤ州全域から、人々が商売のために、アルテミス神殿参拝のためにやって来た人々が、ついでに「ツラノの講堂」にも足を踏み入れて「主イエス様の十字架による罪の赦しと復活に伴う永遠の命の福音」を聞くことになりました。その結果、「ツラノの講堂」は、全アジヤに福音を伝える「伝道センター」となって、アジヤ州の「スミルナ」、「ベルガモ」、「テアテラ」、「サルデス」、「ヒラデルフィヤ」「ラオデキヤ」(ヨハネの黙示録1章~3章)、そして「コロサイ」「ヒエラポリス」の町々から来た人々が、パウロから「福音」を聞いてアジヤの諸教会が設立される基礎が作られていったのでした。

 最後に、この「エペソ伝道」の「隠れた成功の秘訣」はというと、それはツラノの講堂で「毎日論じた」(使徒19章9節)ことです。「継続は力なり」とあるように「毎日」の取り組みは大事です。「信じ続け」「祈り続け」「伝え続ける」時に実が結ばれます(Ⅰコリント書15章58節)


       2023年5月21日(日)聖日礼拝説教要旨 竹内紹一郎