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2023年5月14日聖日礼拝説教要旨


トマスに対する主の愛


それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。

 イエスが復活された後、エルサレムにいる弟子たちのところに現れましたので『弟子たちは主を見て喜んだ』のです。またルカ福音書24章には、郷里に帰ろうとしてエマオ途上にある弟子たちにも現れましたので、彼は『お互いの心が内に燃えた』と言ってエルサレムに帰ってきました。このように復活の主に出会った弟子たちは、もう一度信仰が与えられて立ち上がったのです。

 ところが、そのときトマスは留守をしていてイエスに出会うことができなかったので、喜んでいた仲間の様子を見て妬ましく思い、「お前たちはイエスの幻影を見たのに違いない、それがほんとうの主であるなら、十字架にかけられたときのクギを庛と槍で突かされた脇腹の庛を見なければ信じない」と言ったのです。これは単純に信じない理知的態度です。

 ところがイエスは8日目に再び弟子たちのところに現れ、特にトマスに対して釘で打たれた両手両足の庛と、槍で突かれた脇腹の庛を見さられたので、トマスは『わが主、わが神』と言って信じたのです。そのときイエスは『あなたはわたし(の庛)を見たので信じたのか。見ないで信ずる者はさいわいである』と論されたのです。このトマスは後にインドで伝道して『聖トマス教会』を創設したと言われています。

 ここで、『見ないで信ずる者はさいわいである』とありますが、この「見ないで」とは「素直に」、また「単純」にという意味です。つまり信仰とは神の言葉を素直に、そしてまた単純に信じて受け入れることです。そしてそのような者が神の恵みを受けるのです。何か知的であるということが理知的であるような錯覚している人たちがいますが、決してそうではありません。

 なぜ素直に、そして単純に信ずることができないのでしょうか。それは知的だからではありません。詩篇59篇1節に『愚かな者は、心の中に神はないと言う』とありますが、この「愚かなもの」とは罪人という意味なのです。つまり理知的だから素直に信じられないのではなく、罪人だから信じられないのです。ですから不信仰を威張ってはなりません。また決して威張れることではないのです。

 ヤコブ書1章21節に『心に植えつけられている御言を、素直に受け入れなさい。御言にはあなたがたのたましいを救う力がある』とあります。聖書全巻のみ言葉は霊感によって書かれたものです。つまり『神の言葉』であり、神の『普遍的真理』です。ですからこれを信じて受け入れることのできる人はさいわいな者となるのです。

 今から50数年ほど前、わたしがまだ神学生のころに、外国のある神学者が『非神話化』という学説を提唱しました。その学説によると「聖書には奇跡など神話化された部分もあるから、それを取り除かなければならない」という主張でした。しかし、その学説もいつしか下火になり、今は記憶をしている人も少なくなりました。なぜ人々に受け入れらればかったのでしょうか。つまり、そんなことをしたら信仰に力がなくなってしまうからです。

 とにかく聖書のみ言葉は神の霊感によって書かれた普遍的な真理として信じて受け入れることが大切です。そしてまた、素直に信じて受け入れる者が恵みを受けるのです。

 サムエル記下9章にヨナタンの息子メピボセデのことが書いてあります。彼はダビて王の時代になったので、ロ・デバルという牧草もないような僻地に息をひそめて隠れ住んでいました。それは自分の祖先サウル王がダビデを目の敵にして迫害をしたので、サウルが死んでダビデの時代になったので、自分たち一族が迫害され、粛清されるのではないかと恐れたからです。

ところがダビデは逃亡生活をしていたとき、彼の父ヨナタンに大変世話になり助けられたので、ヨナタンに報いたいと思いましたが、彼はすでに戦死をしていたので、何とかして忘れ形見を捜させたところが、僻地で息をひそめていたメピボセデを見つけたのです。そこで「エルサレムに来るように。」「父ヨナタンのためにあなたに恵みを施そう」と使者を送ったところ、彼はダビデ王の申し出を素直に受けてエルサレムに出てきました。そこで彼は『王の子のひとりのようなダビデの食卓で食事をした』とあります。つまり王子の待遇を受けたのです。それは彼が王の申し出を素直に受けたからです。このように素直に信ずる者はさいわいです。イエスはトマスの不信仰を赦して再び彼の前にご自身を表されたのはイエスの愛だったのです。
                                                   坊向輝國