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2023年5月7日聖日礼拝説教要旨

 聖書箇所  使徒行伝18章23節~28節    


   「信徒に支えられる教会」  


「わたしは、あなたがたに会うことを熱望している。あなたがたに霊の賜物を幾分でも分け与えて、力づけたいからである。」         
(ローマ書1章11節)

「このほかにもまだあるが、その上に、日々私に押し寄せる厄介事、すべての教会への心遣いがあります。誰かが弱っているのに、私も弱らずにいられるでしょうか。誰かがつまずいているのに、私が心を痛めずにいられるでしょうか。」   
(Ⅱコリント書11章28節~29節[協会共同訳]

「彼を自分たちのところ(自宅)に連れて来て、彼に神の道をもっとはっきりと〈正確に〉説き明かした」              
(使徒18章26節後半
[詳訳聖書]

「もし信じるなら、神の栄光が見られる」                            
 
(
ヨハネ福音書1140)

 

 パウロは、約3年に及ぶ「第二回伝道旅行」の最後にエペソの町での「短期の伝道」を終えてアンテオケ教会に帰って来ましたが、しばらくすると「第三回目の伝道旅行」に出発しました(使徒行伝18章23節)。それは、「すべての弟子たちを力づけた」(18章23節の後半)とありますように、パウロ達の伝道でクリスチャンとなった人達の信仰を確立し、励ますためでした。

 このことは、どの時代の伝道者も同じ思いです。柘植不知人先生が長野県飯田に最初に行かれたのは、その地の信仰篤い小学校教員小島良造兄の長男の重病の神癒のためでしたが、その後、飯田のメソジスト教会の聖会に招かれ、多くのクリスチャンに聖書的な「聖霊の聖潔(きよめ)の恵み」に与るご奉仕をされ、飯田基督伝道館(現在の飯田知久町教会)、竜丘基督伝道館が誕生したのでした。その後、柘植先生は飯田のクリスチャン達のために、都合「17回」訪問されたそうです(田添禧雄師)。不便この上ない飯田の地の信徒達を訪ね「信徒を力づけられた」のでした(ローマ書1章9節~11節参照)。

 またパウロは「誰かが弱っているのに、私も 弱らずにいられるでしょうか。誰かがつまずいているのに、私が心を痛めずにいられるでしょうか。」(Ⅱコリント書11章28節~29節)と自ら世話し仕えて来た諸教会への思いをはっきりと記しています。この事がパウロを「ガラテヤおよびフルギヤの地方」への困難な旅路に進ませたのでした。

 そのように、使徒パウロが牧会者として諸教会を訪問し「すべての弟子たちを力づけ」ている間に、エペソの町には「アポロ」が来ました、彼は、当時の二大学問都市一つアレキサンドリヤ生れのユダヤ人で、学問の都の出身だけに学識のある雄弁家のでした。しかも「この人は 主の道に通じており、また、霊に燃えてイエスのことを詳しく語ったり教えたりしていた」(使徒18章25節前半)弁舌さわやかで、魅力的な伝道者であったようです。

 しかし、アポロは「ただヨハネのバプテスマしか知っていなかった」(18章25節後半)のです。「ヨハネのバプテスマ」とは、「洗礼者(バプテスマの)ヨハネ」によって行われた「罪を悔改めて受けるバプテスマ」で、大切な救いの恵みに届かない「不完全なバプテスマ」でした。現代の私達クリスチャンが受けるのは「主イエス様の御名による新生のバプテスマ」で、主イエス様が十字架で流された血潮によって、今まので⑴過去に犯した罪、⑵現在に犯す罪、⑶将来犯すかもしれない罪の一切が全て赦され「真っ白にされる」だけでなく、主イエス様が死人の中から復活され新しい体に甦られたように、私達も、永遠の命に与って、将来に「新しい栄光の体」を与えられる「バプテスマ」です。

 しかし、そんなアポロを神様は放っておかずに、正しい導きをされたことは幸いでした。アポロが、パウロと同じようにユダヤ人の会堂に入って、彼の学識と聖書知識とを十分に活用して旧約聖書に基づき「主イエス様」について雄弁に語った時(18章26節前半)、一般のユダヤ人の聴衆は、彼の「聖書知識に魅了されていた」のでしょうが、プリスキラとアクラ夫婦はアポロの説教に重大な欠陥のあることに気付いたのでした。

 そこで、彼ら夫婦は「彼を自分たちのところ(自宅)に連れて来て、彼に神の道をもっとはっきりと〈正確に〉説き明かした」(使徒18章26節後半[詳訳聖書])のでした。プリスキラとアクラは、彼の説教にパウロの福音宣教との微妙な食い違いが分ったので、その場のユダヤ会堂ではなく「自分たちの家」に彼を招待して「神の道をもっと正確に、詳しく彼に説明した」のでした。

 ある牧師は「この(プリスキラとアクラ)夫婦がアポロに接した態度は立派であった。アポロの説教を聞いて彼の福音理解が不正確であることを知っても、会衆の前でそれを指摘するようなことはしなかった。陰で何人かの人たちと、噂するようなことももちろんしなかった。キリストの教会が建て上げられ、福音が前進することだけを望んでいる夫婦であった。彼らは、この有能な伝道者を傷つけずに、しかも間違いのない信仰に立って福音宣教に励んでもらいたいという配慮から、自宅に招き入れ個人的に説明をした」と言います。信徒であるプリスキラとアクラの適切な行動が光ります。

 この後、巡回伝道者であったアポロは、エペソからアカヤ地方に行くことを願いましたので、プリスキラとアクラ夫婦は、アカヤにあるコリントの教会に宛てて「アポロを歓迎してくれるように」と「紹介状」さえ書いて持たせのでした(使徒行伝18章27節)。当時、偽使徒、偽教師が横行していたので、教会はどんな教師でも受け入れる訳ではありませんでしたので、プリスキラとアクラ夫婦の「紹介状」はアポロにとって「願ってもないもの」でした。

 その「紹介状」を持ってアカヤに渡ったアポロは、「彼は到着して、すでにめぐみによって信者になっていた人たちに、大いに力になった。 彼はイエスがキリストであることを、聖書に基いて示し、公然と、ユダヤ人たちを激しい語調で論破したからである」(18章27、28節)とあり、パウロも   「わたしは植え、アポロは水を注をそそいだ」(Iコリント書3章6節)記していまして、コリントの教会が誕生するための開拓伝道はパウロがしましたが、アポロは信仰的にクリスチャンを成長させるのに役立ったと評価しています。 

 このように、信徒であったプリスキラとアクラの「表に出ない陰の働き」によって、伝道者アポロは教会を建て上げ成長するために大いに用いられました。「信徒の方々の存在」は大きのです。深谷西島教会の再建の時も、一人残された信者さんが、寂れて閉鎖状態となった深谷西島教会で「奥田先生の教会の灯を消してはならない」と言われて教会再建のため自分の財を神様に捧げて献身の限りを尽くし、ご尽力くださいました。彼女は「活水の群」の信者さんらしく「もし信じるなら、神の栄光が見られる」(ヨハネ福音書1140)という御言葉を握って「信仰の祈り」を捧げられた方で、教会のため、教会員、教会関係者のために一生懸命お祈りされ、その御言葉の通りに閉鎖状態の深谷西島教会は「灯が消えず」再建されました。教会は、教会を通して主イエス様に仕える「信者さん」によって支えられ、成長するのです。

            2023年5月7日() 聖日礼拝説教要旨 竹内紹一郎