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2023年3月19日聖日礼拝説教要旨

聖書箇所  使徒行伝17章16節~21節       


 子たちよ。気をつけて、偶像を避けなさい。

「さて、パウロはアテネで彼らを待っている間に、市内に偶像がおびただしくあるのを見て、
心に憤りを感じた」             
(使徒行伝1716節)

「子たちよ。気をつけて、偶像を避けなさい。」         
(Ⅰヨハネ書5章21節)

「偶像にささげる供え物は、何か 意味があるのか。また、偶像は何かほんとうにあるものか。 そうではない。人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである。わたしは、あなたがたが  悪霊の仲間になることを  望まない。 
 (Ⅰコリント書10章19節、20節)

 

  テサロニケの町での迫害で「緊急避難」を余儀なくされたパウロとシラスは、ベレヤの町に逃れて伝道したのですが、「聖書に基づいて」語ったパウロの福音の説教に対する反応が、テサロニケのユダヤ人たちの反応よりはるかに良いものでした。ベレヤの人々は、御言葉に「素直であって」(使徒17章11節前半)、「心から教えを受けいれ」(11節の中程)、反芻する「聖い動物」のように「日々聖書を調べ」(17章11節後半)たという姿勢でしたので、多くの実を結びました。

 ところが、約80kmも離れたテサロニケからパウロ達に反対するユダヤ人たちが押しかけてきて、「群衆を煽動して騒がせた」(17章13、14節)ので、再びその町を後にしました。神様の「救いの御業」が行われると、この時も悪魔が「ちょかい」を出して来たのでした。

 そのような迫害を逃れてパウロがやって来たのが「アテネの町」です。当初の「パウロの計画」には、アテネの町での伝道の予定はなく、何もせずにシラスとテモテの到着を待っていたのでした(17章16節前半)。このアテネは、古代ギリシャの都でギリシャ文化の一大中心地でしたが、BC146年にローマに征服されてからは政治的な重要性を失い、日本の京都の町のように経済活動も西に70km離れたコリントの町が中心になり、更に学問の分野でもエジプトのアレキサンドリヤの町にその地位を譲り、既に栄華を極めた昔の面影はなくなっていました。しかし、文化的にはアテネの町の栄光は地に落ちず、「文化創造の担い手」としての地位は保っていたのでした。

 一方、京都もそうですが、アテネの町は「偶像礼拝の町」でした。パウロはその様子に「憤りを感じた」のでした(17章16節後半)。この「憤り」と言う言葉は、以前に学びました「使徒行伝15章39節」で、バルナバがヨハネ・マルコを第2回伝道旅行に連れて行きたかったのに、パウロがそれを拒んでバルナバが別行動になった時の「激しい反目(激論)」と同じ言葉です。

 それほどにパウロは、アテネの町の「市内に偶像がおびただしくある」のに「激しい怒り」を感じたのでした。その「憤り」に突き動かされて、パウロは「人々が、真の神様に生かされ、愛され、育まれていながら、愚かな生命のない偶像に頭を下げて拝んでいる」ことの間違いをただそうと、伝道するつもりのなかったアテネの町で、真の神様を信じるように伝道し始めたのでした。

 パウロは、いつもの通りアテネの町にある「ユダヤ教の会堂」に入って、聖書に基づいて真の救い主であるイエス様を宣べ伝えたのでしょう。更に、アテネの町中の多くの人々の行き交う有名な「広場(アゴラ)」で「毎日そこで出会う人々を相手に論じた」のでした(17章17節)。いわゆる、「街頭伝道」「路傍伝道」をしたのでした。

 パウロにとっても、また私達にとっても、「偶像礼拝」は「愚かな事」です。パウロは、「偶像礼拝とは、何なのか?」について、「わたしたちは、偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、知っている。… わたしたちには、父なる唯一の神のみがいます」(Ⅰコリント書の8章4節~6節)として、「偶像の神々は神ではない」と教えたのでした。更に進んで彼は、「偶像礼拝の本質」について述べています。当時、家庭で食べる「食肉」の中には、異教の「偶像の神の神殿」で神々に捧げられた供え物としての牛や羊の肉が、その後に町の市場で売られたものがよくありました。そこで、パウロは「偶像にささげる供え物は、・・・ 悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである。わたしは、あなたがたが 悪霊の仲間になることを望まない。」(Ⅰコリント書10章19節、20節)ということで、「偶像礼拝は、悪霊を礼拝してること」と教えました。以前に「占い」にも背後に悪霊がいると言いましたが、同じく「偶像礼拝」も背後に悪霊がいるのです。その「悪霊」に絡まれるなら、「反社会的勢力」に絡まれるとの同じで、クリスチャンとしての祝福を失います。

 ですから、使徒パウロは、「偶像礼拝」を「憤り」ました。また使徒ヨハネも、彼の「第一の手紙」の最後に「子たちよ。気をつけて、偶像を避けなさい。」(ヨハネの第一の手紙5章21節)と諭しています。現代の日本のどこの町でも見られる「偶像」ですが、それは背後に「悪霊が働いている」ので、避けなければ祝福を失います。

 私は、19歳で初めて教会に行きました。京都の清和キリスト教会で50年程前に「100日伝道」という、「9月15日」から「12月のクリスマス」まで、毎日夕方に京都御所や街角や市内の大学のキャンパスから青年を教会に連れてきて開催する伝道集会で、救い主イエス様を伝える伝道があり、その伝道で教会に導かれ、主イエス様を信じて1年半後のイースターに受洗しました。

 一方、実家は「浄土真宗本願寺派の末寺の檀家」で家族も親戚も熱心な仏教徒でした。入信して何年か経った時、母親の実家の祖父が亡くなり葬儀があったのですが、親戚が集まると「何でお前がキリスト教なんや」と色々と言われました。今から50年程前の田舎では映画で出てくる「野辺送り」の行列を作って、孫たちが棺を運んで実家から数キロ離れた墓地に行きました。墓地では住職のお坊さんの読経の後、祖父に近い者から「焼香」するのですが、教会では「偶像礼拝は、神様が喜ばれない」と教えられていましたので、焼香の順番が来て祖父の遺体の前に立っても、親戚一同の視線が注がれる中、   私はお祈りの姿勢をして「焼香」しませんでした。その時、「きっと、後でこっぴどくやり込められる」と思っていたのですが、親戚の多くが「お前がそれほど信じているなら、それでいい」と言ったのでした。「どっち付かずでなく、主の側に立つ」ことが、結局、周りの人に信仰を理解してもらえると知りました。大事なのは、「主の者です」との立場に立つことです。立場を「鮮明にする機会」として「焼香」の代わりに「お祈り」するなら、周りも理解してくれます。

 主イエス様は、今も「子たちよ。気をつけて、偶像を避けなさい」とおっしゃいます。それはあなたの「永遠の祝福」につながるからです。決して悪霊に絡まれて、あなたの祝福を失ってはなりません。 「焼香をしない」ことは、人々に「真の神様」「真の救い主」を証しする機会となるのです。
                       2023年3月19日(日) 聖日礼拝説教要約 竹内紹一郎