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2023年3月12日聖日礼拝説教要旨
       主は泣く声を聞かれた

『主はわたしの泣く声を聞かれた。主はわたしの願いを聞かれた。主はわたしの願いを受けられる。』

(詩篇6篇8節)


 この詩篇は、ダビデ王の祈りだと言われています。そしてこの詩が作られた背景は、彼の「身から出た錆」ともいわれていますが、その息子アブサロムに背かれて反乱事件を起こされたときのことでした。だれでも人に背かれるということは辛いことですが、自分の身内、ましてや子供に背かれるということほど、こんなに辛い苦しいことはありません。

 そこでダビデは神に助けを求めて祈ったのです。その祈りは真剣な祈りでした。2節『主を、わたしをあわれんでください。わたしは弱り衰えています。』4節『主を、かえりみて、わたしの命をお救いください。あなたのいつくしみによりわたしをお助けください』と祈っていますが、その祈りは真剣なものでした。

 ここでダビデは「泣く声を聞かれた」と言っていますが、これは涙の祈りです。つまり涙を流すほど真剣な祈りだったのです。神は「愛の神」ですから、涙を流すほどの真剣な祈りに答えられないはずはありません。そしてダビデは祈りに答えられて勝利をしたのです。このような経験から神を崇めて歌ったのがこの詩篇だったのです。

 わたしたちも日々の生活のなかで、いろいろと辛いこと、悲しいこと、困ったことを経験します。そんなときに失望落胆をしないで「涙を流すほど」真剣に祈ってください。神はその祈りに必ず答えてくださいます。

 旧約聖書のなかに、同じように涙の祈りをささげて答えられた人物が2人登場します。そこで、それらの人の祈りの姿について話します。そのひとりはヒゼキヤ王です。列王記下20章1節に、『ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。アモツの子、預言者イザヤは彼のところにきて言った、「王はこうおおせられます。家の人に遺言をしなさい。あなたは死にます。生きながらえることはできません。」そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて主に祈って言った・・・。そしてヒゼキヤは激しく泣いた』とあります。彼は神から死の宣告を受けたにもかかわらず神に対して祈ったのです。その祈りの姿勢は「壁に顔を向けて」とありますが、これは気が散らないように真剣な祈りです。そして「激しく泣いた」とあるような真剣な祈りだったのです。

 ところが、『イザヤがまだ(王宮の)中庭を出さないうちに、主の言葉が彼に臨んだ。・・・わたしはあなたの祈りを聞き、あなたの涙を見た、見よ、わたしはあなたをいやす。3日目にはあなたは主の宮に上るでしょう。かつ、わたしはあなたのよわい(寿命)を15年増す』と変更されたのです。これはヒゼキヤ王の涙の祈りに、神が御心を変えられたからです。涙は人の心を動かすだけではなく、神の心を動かすのです。

 次に、サムエル記上1章に登場するハンナの祈りです。9節に『ハンナは心に深く悲しみ、主に祈って激しく泣いた』とあります。このハンナの祈りもまた「涙の祈り」だったのです。彼女は子供に恵まれず、なんとかして授かりたいと真剣に祈りましたが、その祈りが涙の祈りでした。その姿が祭司の目にとまり、酔っ払いと誤解されましたが、ハンナの試験な祈りであったことを知った祭司は「安心していきなさい、どうかイスラエルの神があなたの求める願いを聞きとどけられるように」と祝福され、与えられた男の子が将来イスラエルのために活躍する祭司サムエルとなったのです。このサムエルもまたハンナの涙の祈りによって与えられた子供でした。

 次に今日お配りした小冊子「アウグスチヌスの魂の遍歴」は、母モニカの涙の祈りによるものでした。彼は頭のいい秀才でしたが、留学中に大都会の雰囲気に飲み込まれ、享楽の虜となって自墜落な人生を送っていました。また新興宗教のマニ教に没頭しました。それを知った母モニカは、それから毎日教会に行って、息子が悔い改めてキリスト教に回心するようにと祈りはじめました。それを見た神父が、「あなたの祈りは必ず聞かれます。涙の子が滅んだためしがない」と励ましたので、母は平安が与えられました。そしてその祈りが聞かれて、アウグチヌスが32歳の時に回心したのです。
                                                   坊向輝國