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2022年9月4日聖日礼拝説教要旨

聖書箇所  使徒行伝13章1節~12節  


    「世界伝道の始まり、郷里(家族)伝道」


「ふたりは聖霊に送り出されて、セルキヤにくだり、そこから舟でクプロに渡った。そしてサラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言を宣べはじめた。彼らはヨハネを助け手として連れていた。」
(使徒13章4節~5節)

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」
(詩篇119篇71節)

 
 按手による「祝福の祈り」に支えられて(使徒13章3節)、「世界宣教の第一歩」を踏み出したバルナバとサウロは、船で「クプロ島(キプロス島)」に渡りました(13章4節)。この島は、バルナバの出身地[郷里](4章36節)でした。「聖霊が告げ」「聖霊によって送り出され」と聞くと、「世界宣教」が途轍もなく「大事(おおごと)」と思われますが、実際は愛してやまない「郷里の伝道」から始まりました(13章4節)。「聖霊に送り出される」伝道とは身近な、家族、親族、友人・知人から始まります。

この「クプロ伝道」には、「初代キリスト教会の人々が集まり熱心に祈ったマリヤの家」(12章12節)の息子の「マルコと呼ばれるヨハネ」が同伴しました(13章5節後半)。彼はバルナバの従兄弟(いとこ)です(コロサイ書4章10節)。その伝道者生涯には「色々な失敗」(13章13節)がありましたが、その後に大きく成長して豊かに用いられ、「マルコ福音書」を書き、主イエス様の弟子として活躍しました。

バルナバとサウロは、クプロ島の東岸の商業が盛んなサラミスの港町で「ユダヤ人の諸会堂で神の言(ことば)を宣べはじめた」(13章5節前半)のです。その後の地中海世界の各地での「サウロ」の伝道も、旅先の町の「ユダヤ人の会堂」を「足掛かり」にして「救い主イエス様を伝える伝道」を始めています。バルナバもサウロも「世界宣教」の初めは、身近な人々から始めています。

さて、「バルナバとサウロ一行」は、このクプロ島を巡回して西岸の町「パポス」に行き、「バルイエス」というユダヤ名とギリシャ名の「エルマ」(13章8節)という二つの名前を持つ「偽預言者」に出会いました(13章6節)。この男(偽預言者バルイエスであり魔術師エルマ)は、その頃の地方総督セルギオ・パウロという賢明な人物のとことに出入りし、総督に助言をする側近の一人でした(使徒行伝13章6節、7節前半)。

懸命な地方総督「セルギオ・パウロ」は、バルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとしましたが(13章7節後半)、魔術師エルマは総督を信仰の道から遠ざけようと反対しました(13章8節)。いつも、悪魔は「御言葉を聞く」恵みから人々を遠ざけます。

 この時、「パウロ」は「御言葉を聞くことを妨げる」魔術師エルマをにらみつけて、厳しく糾弾しました(使徒行伝13章9節~11節)。ここから、新約聖書で初めて「パウロ」と言う名前が出ています。「サウロ」というユダヤ名は旧約の「サウル王」にあやかったのでしょう。一方の「パウロ」はローマの名前で、「心砕かれた『いと小さき者』」と言う意味です。驕り高ぶる「王様」から「心砕かれた『いと小さき者』」へと名前が変っていったところに「サウロ」の人生の変化が表れされています(13章9節前半)。クリスチャンの道とは、「サウロ」が「パウロ」になった様に「心砕かれた『いと小さき者』」への道です。

 その「パウロ」は、神の御言葉に故意に逆らい伝道を妨害する「エルマ」に対して、厳しい態度で臨みました(13章9節後半)。パウロが魔術師エルマに、「見よ、主のみ手がおまえの上に及んでいる。おまえは盲目になって、当分、日の光が見えなくなるのだ」(13章11節前半)と宣言しますと、「たちまち」そのとおりになり、「かすみとやみとが彼(エルマ)にかかったため、彼は手さぐりしながら、手を引いてくれる人を捜しまわった。」(13章11節後半)のでした。

 パウロは、「あなたがたを 迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。喜ぶ者と共に 喜び、泣く者と共に泣きなさい。」(ローマ書12章14、15節)と記していますので、彼を呪ったのではありません。実は、パウロ自身も同じ経験があり(使徒行伝9章)、救われる以前は「魔術師エルマ」以上の「ワル」でした。「総督を信仰から反らす」くらいではなく、何十人、何百人のクリスチャンを迫害し、牢屋に投げ込み、更にクリスチャンの命すら奪いました(22章4節)。でもパウロは神様の憐れみで、その罪の全てを主の十字架の血潮で完全に赦され、真白にして頂き(Ⅰヨハネ1章7節、イザヤ1章18節)、主イエス様の側に着き神の国を受け継ぐ者とされました。パウロは、「エルマ」と過去の「神の教会を迫害していたにも関わらず主なる神様の憐れみで、一方的に救われた自分」をダブらせていたのでしょう。

 パウロは、「私は正しい、間違いはない」と言い張っていた自分が主イエス様の「まばゆい光」に打たれて視力を失い倒れて自分の罪を示され、地面から起き上がって目を開けたが、何も見えなくなって人々に手を引かれえてダマスコの町に連れて行ってもらったという経験(9章3~9節)から、「盲目になり見えなくなって初めて、『心の目』『信仰の目』が開かれて、自分の間違いと罪が分かった」(ヨハネ福音書9章39節参照)ことを思い出していたのでしょう。 

 「魔術師エルマ」の場合も「当分(救いの時が来るまで)、日の光を見えなくなるのだ」(使徒13章11節)と言われているように、パウロと同じく「私には、何でも見える。私は正しい、間違いはない」と思っていた自分が「打たれて、視力を失い盲目となって倒れ、そして自分の罪を示され」た時、「今まで見えなかった自分の本当の姿と罪深い生涯」、そして「救いへの道」が見えるようになったのでしょう。

 「エルマ」に起こったこの出来事を見た「総督セルギオ・パウロ」は、魔術師の魔術をはるかに上回る「神の奇跡」を目の当たりにして、「主の教(福音の教え)にすっかり驚き」信仰に入ったのでした(13章12節)。

 本格的な「世界宣教の旅」の「初穂(最初の収穫)」は、「総督のセルギオ・パウロ」の回心でした。彼は勇敢に主の教えである「キリスト教」に入信しました。その「後日談」として聖書学者ラムゼイは、「彼、セルギオ・パウロの家族の、娘と孫がキリスト者として知られていた」と刻んだ碑文があると記しています。「総督、セルギオ・パウロ」の信仰は娘と孫に引き継がれ石碑に刻まれ、2千年間言い伝えられることになりました。

 「サウロ」も一時見えなくなって心砕かれて、救われ、「いと小さき者、パウロ」となって多くの人々の「祝福の基」になったように、現代の私たちも「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」(詩篇119篇71節)と「すべてが祝福にかえられる」ことを信じて、主にお従いしましょう。       

                     2022年9月4日(日)主日礼拝説教要旨 竹内紹一郎