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2022年7月31日聖日礼拝説教要旨

聖書箇所 使徒行伝11章19節~30節
 

  「アンテナ教会の祝福」

「わたしがあなたがたに対していだいている計画は…平安を与えようとするものであり、あなたがたに 将来を与え、希望を与えようとするものである。」
エレミヤ書29章11節

「わたしはぶどうの木、 あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。」
(ヨハネ福音書15章5節)

「与えるほうが受けるよりも、もっと幸いである。〈その人をもっと幸福にし、またいっそう、うらやむべきものにする〉」
(使徒20章35節
[詳訳聖書]

 

 2000年前の地中海世界の都市で、「ローマ」「アレキサンドリア」 に次いで世界第三の大都市「アンテオケ」は、地中海を囲む各地方や島々の人種も生活習慣も宗教も違う人々が流入する「人種のサラダボール」と言われる国際色豊な都市でした。そこにある「アンテオケの教会」は、「エルサレム教会への大迫害」で離散した信者達の伝道で出来た教会です。

 離散した信者達は大迫害で致し方なく都落ちし、「ユダヤとサマリヤの地方」に止まらず北に向い「ピニケ(フェニキア)」地方、地中海に浮かぶ「クプロ(キプロス島)」、更に「ピニケ」の北方のシリヤ州の大都会「アンテオケ」までユダヤ人に御言葉を語りながら巡り歩きました(8章4節、11章19節)。それが、主イエス様の「十字架と復活による救いの福音」をグングンと地方に広め、外国に広め、海を越えて広めることになり、主イエス様を信じて救われる人々がどんどん起こされていったのでした。

 現代の私達も、「時が良くても悪くても」御言葉に堅く立ち、御言葉を宣べ伝えましょう。神様は「わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。・・・それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」(エレミヤ書29章11節と仰り、私達一人一人に「平安と将来と希望」を与えてくださる御方です。私達の目には後ろ向きの「バック・スライド」に見える事柄でも、「あなたは、わたしに従ってきなさい(汝は我に従え)」(ヨハネ21章22節[文語訳])と仰る主を信じてお従いしましょう。そこに「平安と将来と希望」が備えられます。

 なお、当時の大迫害のために方々を巡り歩いた人々は、「ユダヤ人以外の…だれにも(つまり外国人には)御言を語っていなかった」のでした(11章19節後半)。とことが、「クプロ」や「キレネ」出身の人々が、主イエス様の福音を、「アンテオケの都」の色々な人々に伝え(11章20節)、「主のみ手が彼らと共にあったあったため、信じて主に帰依するものの数が多」く、大きな進展がありました(11章21節)。

 キリスト教の総本山の「エルサレムの教会」では、「国際都市のアンテオケ」にある異邦人の「教会」で起こっている出来事について、「アンテオケの教会」のメンバーの一部が「クプロ」の出身者なので、同じく「クプロ」出身の教師のバルナバを派遣して教会の様子を調べ、正しく導こうとしたようです(11章22節)。ところが、バルナバが実際に行ってみると、主イエス様を信じて「救いの恵み」にあふれた信徒達が集う「恵みに溢れた正常なキリスト教会の姿」がありました(11章23節前半)。バルナバは、アンテオケの教会の人々に、「主に対する信仰を揺るがない心で持ちつづけるように(固い決意をもって主から離れることのないように)と、みんなの者を励ました」(使徒11章23節の後半[( )内は新共同訳])のでした。

 主イエス様も、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。」(ヨハネ福音書15章5節、6節)と仰いました。主イエス様もバルナバも、アンテオケの教会の信徒たちに「主から離れることのないように」と勧めたのです。

 このバルナバは「聖霊と信仰とに満ちた」人で、キリスト教信仰を確りと教えたので、「アンテオケ教会」の信徒の数がだんだん多くなりました。それで彼は「助け人(ヘルパー)」を捜しました。「キリキア州のタルソの町」に、エルサレム教会で一緒であったサウロ(後に「使徒パウロ」)がいることが分っていましたので、バルナバはサウロを捜し出して、「アンテオケ教会の教師」として招きました(11章24節~26節前半)。

 彼ら二人の教師は、教会で丸一年間、忠実に教えました。すると、教勢は拡大して「アンテオケの都」に大きな影響を与える存在となりました。人々は、「アンテオケの教会の信徒たち」がいつも「キリスト様」を賛美し、「主イエス・キリスト様」のことを誰にでも宣べ伝えていたので、「キリスト」という名前が人々の耳について離れなかったのでしょう。それで「キリスト者」「クリスチャン」とあだ名で呼び始めました(11章26節後半)。 

 その後、エルサレム教会から下ってきた預言者「アガボ」が、聖霊によって「世界中に大ききんが起こる」と預言しましたが(11章28節)、それが的中してクラウデオ帝の治世(紀元41~54年間在位)に起りました。エルサレムやパレスチナ地方は、しばしば飢饉や凶作が起こったのですが、聖書学者は「紀元47年か48年の大飢饉」のこととしています。

 人々の痛みに常に寄り添い、「慰めの子」と呼ばれたバルナバによって指導された「アンテオケの教会」でしたので、「ユダヤに住んでいる兄弟たち」が飢饉で困窮していることを知って、早速「弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに援助を送ることに決めた。」(15章29節)のでした。「アンテオケ教会」は、毋教会である「エルサレム教会」を通して与えられてきた数々の「霊的な祝福」に対して、「物質的な援助」という形で感謝と愛を表そうとしたのでした(ローマ人への手紙15章26-27節参照)。

 使徒パウロは、「『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである。」(使徒20章35節)とも勧めています。聖書を言語に忠実に詳しく翻訳した「詳訳聖書」では、同節を「与えるほうが 受けるよりも、もっと幸いである。(その人をもっと幸福にし、またいっそううらやむべきものにする〉」と翻訳しています。

 実際、「受けるよりは与える方が、さいわいである」を実践した「アンテオケ教会」はぐんぐん成長し、当時のキリスト教会に与えられていた「世界宣教」という大切な働きの「拠点教会」「中心的な教会」とて祝福されました。現代の私たちの教会も、「与えるほうが受けるよりも、もっと幸いである。(その人をもっと幸福にし、またいっそううらやむべきものにする〉」との主イエス様の御言葉に従い、更に祝福を受ける教会とされましょう。

         2022年7月31日() 聖日礼拝説教要旨 竹内紹一郎