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2022年7月10日聖日礼拝説教要旨

 あなたの幸福はどこに

『神よ、あなたをお守りください。あなたはあなたに寄り頼みます。わたしは主に言う。「あなたはわたしの主、あなたのほかにわたしの幸いはない」と』                                   (詩篇162)

ある大学で学生たちを対象にしてアンケートをとったそうです。「あなたのいちばん好きな言葉はなんですか」という問いに、多くの人が「愛」「幸福」と答えました。そのなかでも「幸福」と答えた人がダントツに多かった、というのを読んだことがあります。これは説明をしなくてもお分かりでしょう。

この詩篇はダビデの『幸福論』の1つです。彼はイスラエルを統一して強大な『統一王国』をつくりあげた人です。そしてその権力と財力でどんな事でもすることが出来る王でした。しかし、その王が『あなたのほかにわたしのさいわいはない』と歌ったのです。この「あなた」とはいうまでもなく「神」のことです。

ヨブ記221節にあなたは神ち和らいで平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るとありますが、ここで「平安とは神と和らぐことだ」と言っているのです。「神と和らぐ」とは神と和解することで、和解するということは、神と対等の立場で和解するようにきこえますが、はっきり言って「神から罪を赦るされる」です。神から罪が赦されてはじめて心に平安が与えられるのです。そして、心に平安が与えれてはじめて幸福になれるのです。

わたしたちはも若いときには幸福論をもっていました。いい学校に入って、大きな会社に就職し、美しい女性と結婚して家族に恵まれ、立派な家をもつこと。また立身出世して名誉名声を得ることが幸福に連なる理想と考えていました。しかし年齢を重ねてある程度の理想を手にしたところで、人生を振り返ってみたときに、ほんとうに幸福はこんなものではないことに気づいたのです。そして結論として得たことは、心が平安であることがいちばんの幸福であることを悟ったのです。立身出世して名誉名声を得ても、またどんなに立派な屋敷に住んでも、莫大な財産を得ても心に平安のない人生は虚しいものです。つまり幸福は外に求めるものではなく自分の内に求めるものなのです。アウグスチヌスというひとは「わが魂は神のふところに憩うまでは安らぎはない」と言いましたが、これも有名な言葉です。ほんとうの幸福は外にあるのではなく内にあるものです。

メーテルリンクの「青い鳥」という童話がありますが、この童話は青い鳥を求めてチルチルとミチルが巷をさまよいました。そして贅沢な家庭で外からみると幸せそうな暮らしぶりを見て、ここに幸せの青い鳥を見つけるのです。そして、それを捕まえて龍に入れてみたら普通の鳥に変わってしまったのです。そして失望して自分の家に帰ってみると、家の龍の中に青い鳥がいたというのです。つまり、幸福の青い鳥は外に求めるものではなく自分の内に求めるものである、ということを悟っているのです。

伝道の書2章にソロモン王が歌った歌があります。彼はダビデ王の継続者としてイスラエルの王となった人で、彼は莫大な財力を費やしてエルサレムに神殿と王宮を建設し、『ソロモンの栄華』といわれたほどの成功者でした。その彼が自分晩年を振り返った時に言ったのです。

11節に『そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要した苦労を顧みたとき、見よ、みな空であって、風を捕まえるようなものであった。日の下には益となるものはないのである』とあります。つまり、この世の栄養栄華もみな空しいものだと言っているのです。

今から2300年ほど前に世界を征服したアレキサンダーという王がいました。その王は若干32歳の時に1匹の虫に嚙まれ、落命をしたのです。おそらくマラリアだろうと言われていますが、あのような征服王でも1匹の虫にも勝てないなんて皮肉なものです。その王が臨終で遺言をしました。それは櫃の両側に腕が出るほどの穴を開けることでした。

そして葬儀の行列のときに櫃の両方の穴から王の手がぶらぶらとさがり、奇妙な葬送の行進に沿道の国民は驚いたというのです。これは王の一世一代の皮肉だったのです。自分はこの手に世界を征服して得たが、今は空し手で世を去っていくことを国民に教えたのです。

                                              坊向輝國