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2019年8月25日


クリスチャンと呼ばれて

 

『そこでバルナバはサウロを捜しにタルソへ出かけて行き、彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった』。(使徒行伝1126節)

 

 

 これは、キリスト教徒がクリスチャンと呼ばれるようになった経緯が書かれたところです。それは、アンテオケの教会に集まっている信者たちが、神を畏れ、敬い、恵まれて、清い生活をしていたので、アンテオケの町の人々が尊敬して、呼ぶようになったのが動機でした。

 

 ですから、わたしたちも、クリスチャンと呼ばれることを誇りに思い、大切にしたいものです。決して、恥ずかしく思ってはなりません。堂々と、「わたしはクリスチャンです」「はい教会に行っています」と言えるようになりたいものです。

 

 このアンテオケの教会は、19節に「ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまでも進んで行った」とありますが、ユダヤ人から迫害を受けた信者たちが、エルサレムから逃げて地方に散らされ、ある者たちはアンテオケにまで来て伝道したので、この地に教会が出来たのです。

 

 ところが、「主のみ手が彼らと共にあったため、信じて帰依するものの数が多くなった」(21節)ために、エルサレム教会はバルナバをアンテオケに遣わしました。このバルナバは「聖霊と信仰に満ちた、立派な人であった」から、教会には大勢の人が加わり、盛んになっていったのです。

 

 そこでバルナバはタルソにいたサウロ(後にパウロ)の協力を得て、まる一年間伝道した結果、ますます恵まれた教会となりました。そこで、アンテオケの街の人々は、その教会に集まっている人たちのことを尊敬して「クリスチャン」と呼ぶようになったのです。「クリスチャン」とは、キリストにつける者という意味で、彼らが神を畏れ敬い、恵まれた、清い生活をしていたので、尊敬を込めて呼んだのです。

 

 キリスト教のことを「倫理宗教」または「道徳宗教」と言う人もいますが、それはクリスチャンは、神を畏れ敬い、清い真面目な生きかたをしているからです。また、そこにクリスチャンの力があるのです。

 

 次に、「すべての人に知られ、かつ読まれている」(コリント後書32節)とありますが、クリスチャンの生きざまは、この世の人から見られているのです。そして、わたしたちの生きかたを見て、「キリスト教はこんな宗教か」と判断しているのです。ですから、どこから見てもキリスト教が誤解されないようにしなければなりません。

 

以前にも話しましたが、ある晩、遅く帰ってきたので、新神戸駅からタクシーに乗りました。「下山手八丁目に行ってください」と言うと、運転手は「はい、わかりました」と言って車を走らせましたが、しばらく走ったところで、「トーホーのところを下におりたらいいんですね」と言う者ですから、「まっ直ぐに下りてください」と言うと、運転手は「山手教会でいいんですね」と言ったので、わたしは驚きました。下山手八丁目と言っただけなのに、どうして分かったのでしょうか。

 

 教会の前で下車するとき、「山手教会まで、よくお客さんを乗せることがありますか?」と聞きましたら、「はい、よく乗せます。山手教会で降りる人は、みな品のいい人ですね」と答えてくれました。それを聞いて、わたしは嬉しくなり、チップをいつもより多く払って車を降りました。「すべての人に知られ、かつ読まれている」。クリスチャンは、この世の人から見られているのですから、キリスト教が誤解されないような生き方をしていきたいものです。

 

 神を畏れ敬い、清い生きかたをしているのがクリスチャンの証しです。そしてクリスチャンの力はその清さにあるおです。ですから、その清さを失わないような生き方をしていきたいものです。

 

 今から三千年あまり前、イスラエルの士師時代にサムソンという怪力無双の男がいまいした。彼は道端に落ちていた驢馬の顎骨で、ペリシテ人一千人を殺したほどの男でした。

彼の力の秘訣は、生まれたときからこのかた、頭に剃刀を当てたことがなく、また、ぶどう酒も濃い酒も飲んだことがありませんでした。つまりナジル人(神のために聖別された、という意味をもち、神のために人生を捧げた人)として育てられたのです。

そして、それがサムソンの力の秘訣だったのです。ところが、サムソンの欠点は女性に対して弱かったのです。そしてペリシテの女に心を奪われて、自分の力の秘密を教えたために彼は捕らえられ、両眼をくり抜かれてしまいました。つまり、サムソンが清さを失ったときに力を失ってしまったのです。(2019.8.25