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2016年10月9日

兄弟が和合しているのは

 

 

 

『見よ、兄弟が和合して共におるのは いかに麗しく楽しいことであろう』。
                 (詩篇133篇1節)

 

 この「和合」とは、仲良くしていることです。そしてこれは、その者たちの上に与えられる祝福をうたったものです。わたしたちクリスチャンはできるだけ、家族が、夫婦が、そして兄弟が仲良く過ごしていることが、神の栄えを拝するのです。ところが、他人よりも身内が仲良くする方が難しいようです。それは身近なほうが遠慮がなく(気遣いなく)本音でぶつかるからです。少しでも相手の立場を気づかっていけば、仲良くしていけるものです。

 

 創世記のなかに双子の兄弟が仲がわるく、お互い憎み合っている場面があります。それはエソウとヤコブの兄弟ですが、父は兄のエソウをことのほか愛しましたが、弟にはあまり愛情を注ぎませんでした。兄のエソウは猟師で、一日中、山野を駆けめぐるような行動的な人でしたが、弟のヤコブは羊飼いでした。そこで父は兄に将来を託す考えでした。それを感じたヤコブは「今に兄を出し抜いてやる」と隙を伺っていました。

 

 ところがある日、エソウが一日中猟をして帰ってきたところが、ヤコブのテントの前でいい匂いがするので、近寄って見ると赤いもの(肉のシチュー)を煮ていたのです。それを見るとエソウはたまらなくなり、「それをわたしに食べさせてくれ」と頼みました。するとヤコブは「これは自分の今晩の食事だから、上げるわけにはいかない」と断ると、余計に欲しくなり、「後生だから食わしてくれ」と頼みました。それでヤコブはここぞとばかり、「それなら、兄さんの長子の特権を譲るか」と言うと、兄は「そんなものが欲しければやる。いまここで死んでしまったら、そんなものは役にいたたない」と軽率に約束してしまったのです。このやり取りは二人だけのことでしたが、神は聞いておられたのです。

 

 父イサクが晩年になり、目もかすむようになりましたのでエソウを呼んで、「これから長子の特権を譲るから、その前に鹿の肉でわたしの好きな料理を作ってきてくれ。それを食べてから長子の特権を譲る」と言ったのです。そこでエソウは急いで山に行きましたが、そのやり取りを母リベカがテントの陰で聞いていたのです。そしてヤコブを呼んで、「これを持ってお父さんのところに行きなさい」と命じました。目が不自由になった父はまんまと騙されて、長子の特権をヤコブに授けてしまったのです。後からそれを知った兄はとても怒り、「父が死んだらヤコブを殺す」と友達に誓いました。それを知った母は兄弟で殺し合うことを恐れて、夜中にヤコブを自分の郷里に逃しました。このような不幸はどうして起きたのでしょうか。そもそもの原因は父イサクの偏愛だったのです。わたしたちは子供を分け隔てなく愛さなければなりませんが、この子はかわいいから、出来がいいから、といって分け隔てをすると兄弟が仲がわるくなり、憎み合うようになります。また夫婦がいがみ合ったりしていると子供にいい影響を与えません。

 

 四十数年前になりますが、ある事件で神戸の少年鑑別所に行き、窃盗、放火の現行犯として捕らえられた少年に面会をしたのです。まだ中学生でいたいけな顔をしたこの少年がどうしてこんな犯罪を犯したのか信じられませんでした。この少年鑑別所は犯罪を犯した少年を家庭裁判所で、一般の刑務所に送るか、少年院に送致するから、鑑別をするところです。

 

 どうしてこんな犯罪を犯したのか、話を聞いているうちに分かったことは、その家庭の複雑な環境でした。その家庭は両親と二人の男兄弟の四人暮らしで、経済的には山林もたくさん、田畑もあって比較的に裕福な農家でした。ところが、その夫婦関係は逆転して妻のほうが強く、夫を尻に敷いて支配するような状態で、妻が激昴して怒鳴り散らすと、夫はただ黙ってしまうような状態でした。

 

 また子供は、兄は頭がよく国立大学に行っているのに、弟は勉強が出来なくて、いつも母親から兄のことを引き合いにだして怒鳴られるような始末でした。ですから父親が母から怒鳴られるのをみると、自分が言われているように心を傷めていました。

 

 ある日、いつものように父親がどなり散らされているのを隣の部屋で聞いていた弟はいたたまれず家を飛び出しました。そして村の中をぶらぶらしていると、最近出来た村でただ一軒のスーパーが目にとまりましたので近づいてみると、入口に鍵がかかっていませんでした。中に入ってみると、昼間と違い神秘的なものを感じたそうです。そして入口近くにあるレジをたたいてみると、チンと音がして引き出しが出て、明日の釣り銭が入っていましたのでそれをポケットに入れ、「こんどはもっとたくさん入れておけ。そうでなければ火をつけるぞ。怪盗ルパン」と書いて店をでました。これが、普段平和な村の大事件となりました。

 

 それから一ヶ月ほどしたある晩、また大喧嘩がはじまりましたので、少年は家を飛び出して、こんどは迷いもなくスーパーに直行しました。しかし入口には鍵がかかっていましたので、家からバールを持ってきて鍵を壊して中に進入し、レジに直行しましたがお金は置いてありませんでした。そこでレジの横に置いてある百円ライターでカーテンに火をつけました。放火するつもりではなく脅しのつもりでしたが、火の勢いが強くなり消すこともできず大火事になってしまいました。そして近隣から消防車が駆けつけて大騒ぎになりました。そして近所をうろついていた少年が不審尋問にあい、バールをもっていたので逮捕され、事件の全貌が明らかにされました。

 

 わたしは何とかしてその少年を助けたいと奔走しましたが、まだ若いときのことで力が足らず、助けることは出来ませんでした。その少年は家庭裁判所に送られ、一年六ヶ月少年院に送られることになりました。そして全焼したスーパーは火災保険で再建できましたが、少年の家が資産家ということで、保険会社から民事訴訟されて、親は大きな山を一つ売って弁償したのです。どんな豪邸に住んでいても、不自由のない生活をしていても、家庭のなかで争いがあればこんな不幸なことはありません。(201610.9