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2016年3月13日


ラザロが生き返ったのは

 

『イエスはまた激しく感動して墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」。イエスは彼女に言われた、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。人々は石を取りのけた。…すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたままででてきた』。

(ヨハネ福音書11章39節)

 

 

 このところは、死んで四日もたっていたラザロがイエスによって行き返らされた、という奇跡が起こったところです。そして今日は「なぜこんな奇跡が起こったのか」を学びたいと導かれています。その舞台となったところはベタニヤ村という小さな村でした。ここはエルサレムの東方2.7キロほど離れたところにある村で、そこにはマルタとマリヤの姉妹が住んでいたところです。

 

 そしてイエスがこの村を訪ねたのは二度目で、最初の記録はルカ福音書10章にあります。このときはマルタがイエスの一行の接待に忙しくて心を取り乱し、イエスに対して、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか」と苦情を言っています。妹マリヤに対して言ったのならともかく、イエスに行ったのですからこれは筋違いです。

 

 そのときイエスは、「あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてはならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ」

と、有名な言葉で答えておられます。

 

さて、この章は、イエスのところにベタニヤ村から使の者がきて、マルタ、マリヤの弟ラザロが「病気のために死にそうだから来て助けてください」と言ってきたのです。ところがイエスは、「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」と言われただけで、すぐに駆けつけなさいませんでした。そして、その家を尋ねられたのは、ラザロが死んで四日も経ち、墓に葬られた後でした。

 

 イエスはその家に行き、マルタに言いました。「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」と。

 

 それから、イエスはそのラザロの葬っている墓に行き、悲しんでいる姉妹に、墓の「石を取りのけなさい」と言われましたが、マルタは、もう手遅れです、「死んで四日もたっていますから」と答えたところが、イエスが「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」と諭され、お言葉に従って石を取りのけたところが、死んでいたラザロが生き返ったのです。これは実に驚くべき奇跡です。

 

 なぜ、こんな奇跡が起こったのでしょうか。それは彼らがイエスの言葉に従って石を取りのけたからです。この石は彼女の絶望と諦めの石だったのです。イエスが「もし信じるなら、神の栄光を見るであろう」と言われましたが、わたしたちも不信仰の石、諦めの石があるならば、イエスのお言葉を信じて石を取りのけてご覧なさい。神は奇跡を起こして栄光を現してくださいます。

 

 これまで色々な問題で祈って聞かれてきたが、この問題だけはいくら祈っても聞かれなかったからもう駄目だ、と諦めの石、絶望の石をしている問題はありませんか。それは不信仰の石です。主はそのような石を取りのけて、もう一度信仰もって祈りなさい。と言っておられるのです。祈りは必ず聞かれますから、もう一度、不信仰の石を取りのけて祈りましょう。

                  (20163.13