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2016年3月6日



わたしは良い羊飼である

 

『わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。…わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている』。

(ヨハネ福音書10章11節)

 


 このところでイエスは、自分が羊飼いと譬えておられます。イスラエルの民は元来遊牧民でした。そしてたくさんの羊を飼っていましたので、彼らにはこの譬えはよくわかったと思います。羊飼にとって、羊は唯一の財産であるばかりではなく、自分の家庭のようなものだったので、ことのほか羊を愛したのです。

 

 そのイエス・キリストが、「よい羊飼は羊のために命を捨てる」と言われました。それほど羊を愛して大切にしたのです。ところが羊飼はときには羊と一緒に野宿をすることがあります。そんなとき羊飼は眠ることなく羊の番をしたのです。それは夜陰に紛れて盗賊が羊を盗みに来たり、狼や獣が羊を狙ってきますので、夜通し目を覚まして番をするのです。

 

 また羊は愚かで迷いやすい動物で、ときどき一頭で群れから離れて迷子になることがあります。そんなとき羊飼はどんなに犠牲を払ってもその羊が見つかるまで捜し求めるのです。ルカ福音書15章に「失せた一匹の羊」の譬え話があります。『そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは、捜し歩かないであろうか。そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、「わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから」と言うであろう。よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう」』とあります。

 

 神は九十九匹が無事だから一匹なんてどうでもいいとは思われないのです。否むしろ、いなくなった一匹をも大切に捜し求められるのです。それは神の愛のゆえです。教会でもときどき群れから離れていく魂があります。そんなとき牧者は、まだ教会には熱心な信徒がたくさんいるから一人くらいどうでもいいなんて思いません。むしろ群れから離れた魂のために、もういちど教会に立ち返るように祈ります。これが牧師の愛です。

 

 次に、『わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊もまた、わたしを知っている』とあります。よい羊飼は一匹一匹の羊の性格まで知っているそうです。すぐ迷い出す羊や、すぐ喧嘩をする羊などをよく知って対応をするのだそうです。それと同様に神もまたわたしたち一人一人を知っていてくださるのです。

 

 イザヤ書49章16節には『女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることがない。見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ』とあります。

 

 子供を懐妊した母親はひとときも胎児のことを忘れるようなことはありません。いつもお腹のこどものために自制して辛抱します。それは母親の愛です。しかし、もし母親がお腹の子を忘れるようなことがあっても(そんなことがあるはずはありませんが)、神は尊い十字架の贖いによって救い、「いのちの書」に名を刻まれたわたしたちのことを、一時も忘れられるようなことはありません。いつも覚えていてくれるのです。ですから心強いのです。「たなごころに、あなたの名を彫り刻んだ」とありますが、このたなごころとは「手の掌」のことです。

 

 わたしたち牧師にとっては皆さんの名前を覚えることは大切なことです。神戸で活躍した偉大なる伝道者、香川豊彦先生、この人は最初の生協をつくった人であり、またノーベル平和賞にノミネート(推薦)された人でしたが、この先生の素晴らしいところは記憶力の優れた人でした。あるとき一人の人に出会ったときに、先生が「やあ、○○さんですね」と声を掛けられたので相手の人は驚いたそうです。なぜなら賀川先生とは十年前に一度会っただけなのに、ちゃんと名前を覚えておられたのです。それ以来、その人は賀川ファンになったそうです。

 

 また、一人の青年が東京の落合の教会を尋ねましたが、そのときは青年の心の琴線に触れるようなこともなく、一度だけに終わってしまいました。それから一年して教会の前を通ったとき、教会の玄関を掃除していた献身者(神学生)がその人を見つけて、「やあ、○○さん、お元気ですか」と声を掛けられたので、その青年は驚いたそうです。それから、また教会に通うようになり、立派なクリスチャンとなりました。そして、その声を掛けてくれた人を生涯の恩人と大切にされました。

                       (20163.6