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2016年1月31日

ベテスダの池で

 

『イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った』。(ヨハネ福音書5章9節)

 

 このところはイエスが、38年間もの長いあいだ病人であった人を癒された奇跡のところです。そして、このところで教えられるのは、イエスのみ手はいつも最も弱い者、哀れな者、人から見捨てられたような者に注がれている、ということです。

 

 このベテスダの池は、エルサレムの羊の門の近くにあり、病人が癒されると言われていたからである。この水が動くときに最先に水に入った者の病気が癒されると言われていたからである。この水が動くのは間歇泉の働きだといわれています。

 

 ところが、いざ水が動いたときに、若い者や比較的に病気が軽い人たちがわれ先に飛び込みますが、病気の重い人はいつも取り残されるので、ここでも優勝劣敗の世界だったのです。そしてイエスはこの池のいちばん重症の38年間も待ちつづけていた人に近づかれたのです。そして、「起きて、床を取り上げなさい」と言うと、その人の病気が癒されて歩きだしたのです。これはイエスがいちばん重症で、だれからも助けの手が差し伸べられないような人に接せられたことです。ルカ福音書19章10節に「人の子が来たのは、失われたものを尋ね出して救うためである」とありますが、これがイエスの来臨の目的だったのです。

 

 ヨハネ福音書4章には、イエスがスカルの井戸辺でサマリヤの女性に出会っている記事があります。そしてイエスがその女性に「水を飲ませてください」と言われましたら、その女性は「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」と答えています。これはユダヤ人はサマリヤ人を軽蔑して交際をしていなかったからです。

 

 これはイスラエルの歴史をずっと逆上らなければなりませんが、昔イスラエルが「北王国」と「南王国」とに分かれていた時代に、北王国がアッスリヤ帝国に滅ぼされて首都サマリヤが陥落してしまいました。そしてサマリヤの主だった人たちをアッスリヤの地に連行したのです。これを「アッスリヤ捕囚」といいます。そしてアッスリヤの人たちとサマリヤの人たちは同化してしまったのです。それを後に知った南ユダの人たちがサマリヤの人たちを軽蔑し、交わらなくなりました。

 

 たとえば、北のガリラヤ地方の人たちが南のエルサレムに下るときに、その中間地点にサマリヤの町があるのにそこを通ることを避け、わざわざヨルダン川の東を迂回したのです。ところがイエスはサマリヤの町に入り、スカルの井戸辺でいちばん問題のある女性に声を掛けられました。しかもこの女性は不道徳な生活をしている人で、そのため町の人たちからも敬遠されていたため、女性たちがいない昼日中に水を汲みにくるような人だったのです。ところがイエスは、この町でいちばん問題の女性に声を掛けられたのです。それは、この人を救うためでした。そしてこの女性が救われたために、町の人々はぞくぞくとイエスのところに来ました。

 

 エリコの町にザアカイという町でいちばんの嫌われ者がいました。彼は取税人で過酷な取り立てをするので町中の人から嫌われ、誰一人ザアカイに近づくような人はありませんでした。ところが、その町にイエスが来られたのです。そのことを知ったエリコの町の人たちは朝から大変な騒ぎでした。それを知ったザアカイも時の人イエスを一目見たいと思い町に出ましたが、沿道は人々の人垣でいっぱいでしたので、背の低いザアカイは人の前にでることもできませんでした。そこでザアカイは沿道にある桑の木に登ったのです。

 

 やがてイエスと弟子たちの行列が近づきましたので群衆は「ホザナ・ホザナ」とイエスを迎えました。ところがイエスはザアカイの上っている木の下まできたとき足を止め、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」と声を掛けられました。彼は喜んでイエスを家に迎えて歓待しました。そのとき彼は突然言い出したのです。「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取り立てをしていいましたら、それを四倍にして返します」といったのです。これはイエスから諭されたのではなく、イエスに近づいたとき、イエスの愛に目覚めたからです。そしてエリコの町に人々も「ザアカイが変わった」と言って喜んだというのです。イエスはエリコの町のいちばんの問題のある人に近づかれたのです。

 

 「人の子が来たのは、失われたものを尋ね出して救うためである」

          (2016.1.31