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2015年12月13日


ヒゼキヤ王の祈り

 

『ヒゼキヤは使者の手から手紙を受け取ってそれを読み、主の宮にのぼっていって、主の前にそれをひろげ、そしてヒゼキヤは主の前に祈って言った』。

           (列王記下19章14節)

 

 

 旧約聖書の中に出てくる「祈りについて」シリーズでお話ししてきましたが、今回は最終回です。そして今日はヒゼキヤ王の祈りについて話します。彼の祈りは主を見上げて祈ったいのりでした。

 

 彼は南王国の歴代の王の中でも比較的にいい政治をした人で、この王の記述が18章から20章まで、3章にわたって記録されていますが、これは異例のことです。彼は国内の偶像を取り除いて宗教改革をしました。ですから「ヒゼキヤはイスラエルの神、主に信頼した。そのために彼のあとにも、彼の先にも、ユダの王のうちに彼に及ぶ者はなかった」(18章5節)と称賛されています。また、「主が彼と共におられたので、すべて彼が出て戦うところで功をあらわした」(18章7節)とあります。

 

 ところが、このヒゼキヤ王のところに、北のアッスリヤのセナケリブから「隷属して貢ぎ物を収めるように」と脅迫をしてきました。このアッスリヤは少し前に「北イスラエル王国」を滅ぼした大国で、その勢いで「南ユダ王国」をも脅迫してきたのです。そこで王は「主の宮と主の家の倉にある銀をことごとく彼に与えて難を逃れました。

 

 このセナケリブは南ユダを甘くみたのか、再び脅迫をしてきたのです。これは南王国にとっては存亡に関わる危機となりました。そこで王は、セナケリブから送られた脅迫の手紙を持って主の宮にのぼり、それをひろげ、「主よ、どうぞ今われわれを彼の手から救ってください」と祈ったのです。彼は国難に際してエジプトの援軍を頼むことなく、また戦いの備えをしたのでもなく、ただ主を信頼して祈ったのです。

 

 その祈りに神は答えられ、「その夜、主の使が出て、アッスリヤの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆、死体となっていた」とあります。(19章35節)これは神がヒゼキヤの祈りを聞かれて、天の使を遣わしアッスリヤの軍を打ち破られたからです。

 

 王は脅迫の手紙を持って主の宮に入り、それを天に向け広げて、神に見せるようにして祈りましたが、その仕種(しぐさ)が面白いですね。

 

 こんな話があります。柘植不知人先生が台湾伝道に行かれるとき、奥様が「留守中の生活日を置いていってください」と言いますと、先生は「わたしも片道切符で行くのだから、あなたも信仰で生活しなさい」と言って置いてくれませんでした。その当時、既に何人かの献身者がいましたので、彼らを養わなければなりませんので、奥様は困り、空になったがま口を開けて上を向けて、「神様、がま口のなかにはお金はありません。よろしくお願いします」と部屋をぐるぐる回って祈られたそうです。それはまさしくヒゼキヤ王の祈りの姿そのままでした。

 

 すると、全国の信者さんたちから献金が次々と送られてきて、「先生が台湾から帰って来られるまで豊かに養われた」というお証を聞いたことがあります。しかし、空のがま口を開けて上を向けて、部屋をぐるぐる回りながら祈られた、その仕種は微笑ましいではありませんか。わたしたちも単純に神に向いて祈るものでありたいものです。

 

                 2015.12.13