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2015年11月22日

 

 

ヒゼキヤ王の涙の祈り

 

『そしてヒゼキヤは激しく泣いた。 イザヤがまだ中庭を出ないうちに主の言葉が彼に臨んだ、 「引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。 かつ、わたしはあなたのよわい(寿命)を十五年増す』。 (列王記下20章4節)

 

 

 今日はヒゼキヤ王の祈りについて話します。彼の祈りは神の御心を変えた祈りでした。彼は南ユダ王国の十三代目の王で、12歳で即位し29歳まで在位しました。この時代は「北イスラエル王国」がアッスリヤ帝国に滅ぼされるという、国際関係の厳しい緊張状態にありましたが、「ヒゼキヤはイスラエルの神、主に信頼した。そのために彼の後にも彼の先にも、ユダのすべての王のうち彼に及ぶ者はなかった」と言われるほどの優れた政治家でした。そして、彼が死んだとき「ユダの人々、およびエルサレムの住民は、皆その死に当たって彼に敬意を現した」と言われるほど、国民に慕われていました。

 

 そのヒゼキヤが死を覚悟しなければならないほどの重病に陥ったので、預言者イザヤが王宮を訪ねて、「あなたは死にます」と、神の御心を伝えました。その宣告を聞いた王は、「顔を壁に向けて主に祈りました」。また「激しく泣いた」ともありました。この「顔を壁に向けて」とは、気が散らないようにという意味です。また「激しく泣いた」とは王の真剣さを表しています。

 

 彼は死ぬことをおそれたのではありません。北からアッスリヤ帝国の圧迫をうけているいま、自分が死んだら、まだ後継者も決まっていないために国内が混乱し、国民が苦しむので、素直に死を受け入れることができなかったのです。

 

 そして、王の涙の祈りが聞かれ、預言者イザヤがまだ王宮を出ないうちに、神の声が再びイザヤに届いたのです。つまり神が御心を変えて病気を癒されただけではなく、よわい(寿命)も十五年も増し加えられたのです。これは王の祈りの結果でした。このように、涙を流すほどに真剣な祈りは必ず聞いてくださるのです。

 

 詩篇6篇8節に『主はわたしの泣く声を聞かれた。主はわたしの願いを聞かれた。主はわたしの祈をうけられる』とありますが、これはダビデの詩篇です。彼も何か苦しいことがあったのでしょう。そして祈ったときに聞かれてこの詩篇をうたい神を讃えたのです。

 

 

 わたしが若いころ、毎年のように夏になると姫路の奥にある朝来教会の夏期聖会の御用に行っていました。そこへ一人の女性の方が、「わたしは毎年、朝来聖会に御礼参りに来ています」と話していましたので、よく聞きますと、連れていた可愛い幼児はこの聖会でいただきましたということでした。そこで、なお詳しく聞きますと、その方は学校の教員の方と結婚しましたが、その実家は農家でしたので嫁として農家の作業を手伝わなければなりませんでした。その方はサラリーマンの家の出でしたから農家の仕事をしたこともありませんでしたが、それほど苦にはならなかったそうです。

 

 ところが、結婚して何年経っても子供に恵まれず、「子供もいないのに、まだいるのか」といった冷たい言葉が投げつけられて、心が傷つけられていました。そんなときに「神戸に良く当たる占い師がいるから見てもらったら」と言われたので、見てもらったら「あなたの家の辰巳(たつみ)の方向に地蔵さんがあるから、それを拝んだらいい」と言われ、毎朝早く、皆がまだ起きないうちに家を抜け出して地蔵さんを拝みにいきましたが、一向に効果がなく途方に暮れていたとき、友人が手の平ほどの石の地蔵さんをもってきてくれ、「これを抱いて寝たら子供に恵まれる」と言うので、昼間はタンスの上に置いて、夜になると抱いて寝たそうです。

 

 その様子を聞いたクリスチャンの叔母さんが、「いつまでそんなばかなことをしているのか」と猛烈な勢いで怒られました。それから暫くして、人に介護をしてもらわないと動けないクリスチャンの姉が、「こんど朝来聖会に行きたいので介添えしてもらえないか」と言われ、一緒に聖会に出席しました。その聖会で『わたしは全能の神である』というみ言葉が与えられましたので、集会の後で裏山に登って、そのみ言葉を握って祈ったそうです。そして聖会後、数ヵ月して妊娠したのです。それは結婚して十年後のことでした。そこで毎年、この聖会に御礼参りとして来られていたのを知りました。

 

 神は「全能の神」(オールマイティの神)です。「人にはできないことも、神にはできないことはない」。日本では「八百万の神」と言い、家中のお札を貼っているのを見たことがありますが、聖書の神は唯一神です。この神を信じていくなら神はどんな願い事でも聞いてくださるのです。いままで諦めていたことも、もう一度、信じて祈ってみてください。

2015.11.22