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2015年11月15日

 

 

 

 

祭司サムエルの祈り

 

『また、わたしは、あなたがたのために祈ることをやめて主に罪を犯すことは、けっしてしないであろう』。(サムエル記上12章23節)

 

今日は「サムエルの祈り」について話します。彼の祈りは、自分に敵対する者のために祈ったいのりです。

 

 イスラエルの民はモーセの後継者ヨシュアに率いられてカナンの地(パレスチナ)を占領し、その全土をイスラエルの十二部族に分割をしました。この地は、昔、ご先祖のアブラハムが住んでいた土地とはいえ、それは四百数十年も昔のことです。ところがイスラエルがこの土地を占領して先住民族を追い出して占領したので、この地を追い出された他の民族から恨みをかい、周辺の部族が攻めてきて、再びイスラエルの民を追い出しにかかったのです。そこで神は「士師」をつかわして、彼らの働きによりイスラエルを救われたのです。これを「士師時代」と言います。

 

 ところが、度重なる外敵からの圧迫に苦しんだイスラエルの民は、サムエルに他の国のように王を求めたのです。これまでイスラエルに王がなく、祭司サムエルが宗教的指導者で民を指導をしていましたが、もう一つの理由は、サムエルの息子たちの不行跡がありました。聖書には「まいない(賄賂)をとって裁きを曲げた」とありますが、賄賂しだいによって裁判を曲げる、ということをしたので、民たちの不評をかったのです。

そして、サムエルの死後、こんな人たちに治められるのはかなわないと言い出したのです。これはサムエル一族に対するボイコットでした。そこでサムエルはベニヤミンびとサウルに油を注いで王としました。そしてイスラエルは「王国時代」となったのです。

そして、その後ダビデ、ソロモンと三大の王国時代が続いたのですが、このような訳でサムエルは王国時代を起こした人として「サムエル記」と記念されたのです。

 

 さて、その後サムエルはイスラエルの民に対してのが冒頭の言葉です。『また、わたしは、あなたがたのために祈ることをやめて主に罪を犯すことは、けっしてしないであろう』。これは「お前たちはわたしをボイコットした。しかし、わたしは祭司だから、これからもお前たちのために祝福を祈る」と言ったのです。なんと崇高な心ではありませんか。

 

 わたしたちも牧師として教会員のために、いつも一人一人の名前を上げて祈りますが、気に入らない人だからといって、その人の名前を飛ばしたりはしません。みんなのために祈るのが祭司の務めだからです。

 

 山陰の教会で一人の教会員のために辛い思いをした牧師が、大阪に帰って来てからもその人のために祈り続けました。年末に年賀状を書いていた先生を横から見ていた奥様が、その人の名前を見つけ「お父さん、その人に出すのを止めたらどうですか。16年間出しつづけてきたのに、一度も返事が来たことがないじゃないの」と言いましたら先生は、「そんな人だから出さなければならない」と言って、それからも出し続けたのです。そしてまた、その人のために祈り続けられました。

 

二月に有馬温泉で「大阪ケズィック」が開かれたとき、わたしも出席しました。受付のところでその先生に会いましたので、一緒に会場に向かいました。ところが、廊下の向こうからその問題の信徒が来るのが見えましたので、わたしはその先生と信徒の関係を知っていましたので、これはどうなるか心配して見ていました。すると相手の信徒の方も先生のことに気がついたとみえ、一瞬たじろいだ様子でした。そのとき、その先生が走りより、その人の手を握って「やあ兄弟、よく来ましたね。あなたのために祈っていましたよ」と声をかけると、その人は大粒の涙をながして、「先生、申し訳ありませんでした」と謝って一瞬に和解が成立したのです。その光景を近くで見ていたわたしは大きな感動を覚えました。この先生は祈りの先生、愛の先生でした。

 

 それから間もなく、その先生の教会が新しく献堂されましたので、その献堂式に参列しました。式の後に茶話会がありましたが、その席で、その兄弟は「わたしは先生に大変に非礼なことをした者です。しかし先生は私を赦して受け入れてくださいました。そこでわたしは、二日前から来てお手伝いをさせていただきました」と挨拶をしましたら、会衆はみなで拍手をしていましたが、ことの始終を知るわたしは人一倍感動して拍手をしました。その先生の16年間の祈りがきかれたのです。

 

 イエスが言われた「敵を愛し、迫害するもののために祈れ」(マタイ福音書5章44節)とは崇高な教えです。人間の業ではなかなか出来ないことです。しかし、ガラテヤ書5章22節に「御霊の御は、愛…」とありますが、御霊の力に満たされたとき、「敵を愛し、迫害する者のために祈る」ことが出来るのです。ですから皆さんも「よろしく御霊に満たされるべし」、これが肝要です。

                     (201511.15