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2015年11月1日

 

 

神の人モーセの祈り

 

『モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。

しかしモーセの手が重くなったので、アロンとホルが石を取って、モーセの足もとに置くと、彼はその上に座した。そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、モーセの手を支えたので、彼の手は日没までさがらなかった。ヨシュアは、つるぎにかけてアマレクとその民を打ち敗った』。

                       (出エジプト記17章11節)

 

 

 今日は「モーセの祈り」について話します。彼の祈りは「得るまで成るまで」、つまり完全に勝利するまで祈り続けたことです。

 

 ヨセフがエジプトの宰相になったことで、彼の父ヤコブや兄弟たちをエジプトに導き入れてゴセンの地に住まわせましたが、この地は牧草も豊かで羊を飼う遊牧民にとっては最高の土地でした。ところがヨセフを優遇したヒクソスの支配が終わり、再びエジプト王朝の支配が始まり、「ヨセフのことを知らない新しい王」が立つと、イスラエルの民は奴隷として使役されるようになったのです。それが四百年も続きました。

 

 彼らの苦しみ、叫びが天に届き、神はモーセを遣わしてエジプトの地から救い出したのが「出エジプト」です。しかし突然のことで彼らは難民のような状態でした。そしてシナイ半島を南下してシナイ山に向かう途中、手前のレピデムでアマレク人との戦いを余儀なくされました。イスラエルは難民状態で戦闘のできる状態ではありませんでしたが、モーセは山に登って手を上げて祈りました。そして地上で戦ったのが後にモーセの後継者となったヨシュアでした。

 

 モーセの祈りに、形勢が有利になったので祈りをやめると、アマレク人が盛り返してきましたので、モーセは再び祈りましたらイスラエルは再び形勢を盛り返しました。そしてアロンとホルに支えられて完全に勝利するまで祈り続けたのです。ここで教えられることは、最後まで、完全に勝利するまで祈り続けることです。いくら祈っても駄目だとあきらめたり、投げ出さないで、勝利を信じて祈り続けることです。

 

 列王記上18章41節以下に預言者エリヤの祈りがあります。この祈りも諦めないで祈り続けたときに、七度目に手ほどの雲がおこって祈りが聞かれたのです。アハブ王が外国の女イゼベルと結婚したために、国内に偶像神(バール神)が入りアハブ王も偶像を礼拝するようになったのです。そこで神はエリヤを遣わして王に悔い改めて偶像礼拝をやめるように勧告させたのです。そして「わたしの言葉のないうちは(悔い改めて偶像を捨てなければ)、数年雨も露もないでしょう」と警告しました。その結果、王は悔い改めましたので、こんどは預言者が雨をふらさなければならない立場になりました。そこで預言者はカルメル山頂に登って祈りはじめました。

 

 その祈りは「地に伏して、顔をひざの間に入れて」真剣に祈りましたが、なかなか雨は降りません。それでもエリヤは祈り続けましたら、七度目に「海から人の手ほどのちいさな雲が起っています」としもべから知らせがあり、それから「間もなく、雲と風が起り、空が黒くなって大雨が降ってきた」のです。つまり預言者エリヤの祈りが聞かれたのです。わたしたちも祈るとき、完全に祈りが聞かれるまで、途中で諦めたり、投げ出さないで祈り続けることが大切です。

 

 ヤコブ書5章17節には「義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈りをささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた」とありますこれはこの所のことです。

 

 最後にイギリスのジョージ・ミューラーの話をします。彼は「孤児の父」と言われてイギリスの多くの人々から尊敬を受けていました。彼の素晴らしいところは、信仰と祈りで、生涯で延べ数千人の孤児を養ったのです。

 

 また彼はあるときから五人の友人の救霊のために祈り初めましたが、すぐには祈りが聞かれませんでした。それでも必ず祈りが神に聞かれて救われると信じて祈り続けましたら、五年目にようやく一人の友人が救われてクリスチャンになりました。

 

 そして二人目が救われたのは、彼が祈り初めて10年目でした。そして25年目に二人の友人が救われました。そして五人目の人はジョージ・ミューラーの死後数カ月目だったそうです。彼の生涯の功績を見聞きして感動を受けたからに相違ありません。それでも彼の祈りは全部聞かれたのです。ですから、わたしたちも祈るとき、途中で投げ出さないで、諦めないで、「得るまで、成るまで」、つまり祈りが聞かれるまで祈り続けることが大切です。そして「義人の祈は、(信仰の祈りは)大いに力があり、効果のあるものである」。わたしたちも信仰をもって今日から家族の救いのため、また周りの人たちの救いのために祈りはじめようではありませんか。

2015.11.1