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2015年10月18日

 

 

アブラハムの執り成しの祈り

 

 『こうして神が低地の町々をこぼたれた時、すなわちロトの住んでいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救い出された』。(創世記1929

 

 

 今日からしばらく旧約聖書の中から「祈り」について学びたいと導かれています。そして第一回の今日は「アブラハムの祈り」です。これはアブラハムがロトのためにささげた執り成しの祈りです。

 

 アブラハムがハランの地に住んでいたとき、神が「わたしの示す地に行きなさい」と導かれました。そのとき彼の甥のロトも一緒にカナンの地に来ました。アブラハムは神の言葉を信じて、信仰もって従いましたが、ロトは大好きな叔父さんについてきました。

                                               

 そして、神はアブラハムを祝福されましたので、彼の財産(家畜)が増えていきました。それと同時に行動を共にしていたロトも祝福を受けました。ところが家畜が増えてくると、アブラハムの羊飼とロトの羊飼の間で紛争が起こるようになりました。それは自分たちの羊のために少しでもよい草のあるところ、水のあるところを争ったのです。そのことで心を痛めたアブラハムは、これ以上争いが起こらないようにロトと別行動をすることにしました。

 

 そこでロトが選んだ土地は、ヨルダンの低地で、そこは「主の園のように、またエジプトの地のようにすみずみにまで潤っていた」、ソドムを選びました。ところが、そのソドムの人々は不道徳で、主に対して不敬虔な土地だったのです。

 

 さて、神はその不敬虔なソドムの町を火と硫黄を降って滅ぼされましたが、ロトとその家族は救い出されたのです。聖書を見るとロトは特別に救い出されるような立派な人ではありませんでした。それは聖書の二箇所の記事から伺い知ることができます。一つは、19章1節「そのときロトはソドムの門に座っていた」とあります。これはなんとなく読み過ごしてしまいそうなことですが、ここに重大なヒントがあるのです。当時、町は高い外壁に囲まれて何箇所かの門から人々は出入りしていましたが、それは外敵の侵入から守るためでした。そして門の入り口で町の長老たちが人の出入りを監視していました。ところが、この町に来て間もない余所者のロトがこの門にいたということは不道徳なこの町の人たちと同化していたからです。

 

もう一つは、神がソドムの町を滅ぼされようとしていることを知ったとき、彼は家族の者たちを集めて、この町から脱出することを勧めました。ところが、「むこたちには戯れごと(冗談ごと)に思えた」とあります。自分たちの生命に関する重大なことを戯れごととしか思われないのは、ロトの日ごろの生活が家族の者たちに模範になっていなかったからです。そんなロトでしたが、神がソドムの滅亡の前にロトたちを救い出されたのは、アブラハムの執り成しの祈りがあったからです。「神はアブラハムを覚えて、その滅びのなかからロトを救い出された」のです。

 

18章22節以下にアブラハムの執り成しの祈りが書いてあります。彼は神がソドムの町を滅ぼされることを知ったとき、神に何とかソドムの町を滅ぼさないように祈りました。そのとき彼は「あなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか」と迫りましたら、神は「もしソドムの町の中に50人の正しい者があったら、その人々のためにそのところをすべてゆるそう」と答えられたのです。しかし、町には10人の正しい者もいませんでしたので、神はその町を滅ぼされたのです。

 

 しかし、ロトとその家族が救われたのは、アブラハムの執り成しの祈りでした。彼は神に対してくどいくらい祈っています。彼には恐れがなかったのでしょうか。ヨハネ第一書4章18節には『愛には恐れはない、まったき愛は恐れを除く』(文語訳)とあります。つまりアブラハムには愛があったので、このように根気よく祈ることができたのです。

 わたしたちも愛があれば、どんなことでも恐れなく大胆に行動することが出来るのです。

 

 話は少し変わりますが、わたしたちはイエス・キリストを信じて救われましたので、いつ死んでも天国ですから何も心配も恐れることもありませんが、みなさんの回りにはまだ救われていない方がありませんか。「信仰はそれぞれ人の自由だから」と言って、そんなことで済ましていいのでしょうか。わたしたちがキリストの審判を受けるとき、その子供たちが、「親は信仰のことも、教会のことも、何も教えてくれませんでした」と言われたら、わたしたちはキリストの前で恥をかきます。

 

 「主、イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」とあります。ですから、こんどは家族の救いのためにも祈らなければなりません。家族を救いに導いてはじめてわたしたちの責任が果たせたことになるのです。アブハラムがロトのために心血注いで祈ったように祈りましょう

2015.10.18