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2015年9月27日

 

 

 

 信じて祈れば門戸は開かれる

 

 『ところが、ある人たちは心をかたくなにして、信じようともせず、会衆の前でこの道をあしざまに言ったので、彼は弟子たちを引き連れて、その人たちから離れ、ツラノの講堂で毎日論じた。それが二年間も続いたので、アジヤに住んでいる者は、ユダヤ人もギリシャ人も皆、主の言を聞いた』 (使徒行伝19章9節)

 

 わたしたちが人生の壁にぶちあたった時でも、神を信じて祈っていくなら、必ず道は開かれます。ですから、「為ん方尽きても望みを失わず」(文語訳)とあるように、神を信じて、希望をもって祈っていきましょう。

 

 さて、この話はパウロが第三回伝道旅行のときエペソの町で起った出来事でした。彼はユダヤ人の会堂で三ヶ月伝道しましたが、パウロの語る福音を信じようともせず、「この道をあしざまに言って妨害したので」、パウロたちは弟子たちを引き連れて会堂をでました。しかし突然の事なので途方に暮れましたが、彼らが神を信じて祈ったときに、不思議なように門戸が開かれたのです。

 

 それがツラノの講堂でした。これは哲学の講堂でガラテヤ地方の優れた青年たちが哲学を学ぶために集っていましたので、彼らはパウロの集会に出て福音を聞き、信仰の道に入ったのです。これは神が備えた摂理の道でした。それはユダヤ人の会堂ですと、そこに出入りするのはユダヤ人が中心でしたが、ツラノの講堂ではこの地方の人々が福音に接することができました。そして彼らは学生ですから卒業すると各々の郷里に帰りますので、その郷里で伝道をし、ガラテヤ地方の各地に教会が誕生したのです。しかもパウロが足を踏み入れたことのない地方に教会が誕生したのです。これは神がなされた不思議なわざでした。このように、わたしたちも何か壁にぶち当たったときでも、神を信じて祈っていくなら、神は不思議なように道を開いてくださいますから、諦めないで祈ってください。

 

 サムエル記上23章24節にこんな出来事がありました。それはダビデがサウロ王から命を狙われ逃げ回っていたときでした。その命を狙われる原因は少年ダビデがペリシテの大勇士ゴリアテを倒したために、一躍国民的英雄になりました。そして巷で「サウロは千を撃ち殺し、ダビデは万を撃ち殺した」と歌われたのです。つまりサウロ王の手柄よりダビデの手柄が大きいと歌ったのです。それは聞いたサウロ王は将来、ダビデが自分に代わって王になることを国民が望んでいるのではないかと誤解した王は、ダビデの命を狙ったのです。

 

 そのためにダビデの逃避行がはじまりました。しかしどこに行ってもサウル王の手の者が追ってきて彼の身は休まるときはありませんでした。そしてマオンの荒野でサウル王が大軍を率いてじきじきに出張ってきたのです。そして両軍とも二つの山に陣を構えました。そして明朝に決戦ということになり「絶対絶命」、ダビデは死をさえ覚悟しなければなりませんでした。ところが神は不思議な方法でダビデを助けられたのです。

 

 いざ決戦ということになったとき、国元から伝令が来て、「ペリシテびとが国を侵しています」と報告をしたのです。そこで王は急遽兵を引いてペリシテとの戦いに臨んだので、「危機一髪」、助かったのです。そこでダビデはそこを「のがれの岩」と名づけて記念をしました。

 

 詩篇31篇21節にこんな詩があります。『主はほむべきかな、包囲された町のようにわたしが囲まれたとき、主は驚くばかりに、いつくしみをわたしに示された』と。

これはダビデの詩篇でこのときのことを歌っていると言われています。

 

 また、コリント前書10章13節に『神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時にそれに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである』とあります。

 

 先週の日曜日に、長野県飯田市の竜丘基督伝道館で聖会の御用を終えて、飯田から名古屋行の高速バスに乗りました。ところが連休のために渋滞をしてバスは遅々として進みません。名古屋でかなり余裕をもって新幹線の指定席を買っていましたが、間に合いそうもありません。そこで指定席を捨てる覚悟をしていましたが、なんとか十分前に名古屋に到着しましたが、そこから新幹線の駅まではかなり距離がありますので、スーツケースを引きずりながら、人をかき分けて走りました。新幹線の改札口に到着し、エスカレーターでプラットホームに上がると、そこにひかり号が停車していましたので、一番近いドアから入った途端にドアが閉まり発車したのです。間一髪で間に合いました。あわてないで、最後まで希望を捨てずに走ったのがよかったのです。「為ん方尽きても望みを失わず」のみ言葉のとおりでした。

2015.9.27