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2015年9月13日


 

 讃美と祈りの力

 

 『真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。ところが突然、大地震が起って、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けてしまった。』 (使徒行伝16章25節)

 

 今日は「さんびと祈りの力」について話しをします。この16章はパウロとシラスが第二回の伝道旅行のときにピリピの町で起った出来事です。この町に占いの霊に憑かれた女奴隷がいて、それを生業(なりわい)としていましたが、パウロたちによって救われたために占いが出来なくなってしまいました。そこで雇い人(親方)に訴えられて、裁判を受けるために獄に閉じ込められました。

 

 しかし、彼らはこんな迫害を恐れる者たちではありませんでした。真夜中ごろにパウロとシラスとは、大声で神に祈り、さんびを歌い続けましたら、他の囚人たちは耳をすまして聞き入っていたのです。普段こんなときにはうめき声や、絶望のため息が聞こえるものですが、ただならぬパウロたちの潔い歌声に心が清められてしまったのです。そのため、突然、大地震が起こり獄の扉が全部開いてしまいましたが、だれひとりそのどさくさに逃げ出す者はなく、この様子を見た獄吏は救われたのです。

 

 テサロニケ前書5章16節に『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい』とありますが、いつでも喜んでいる人はさいわいです。また、どんなとときでも祈れる人もさいわいです。何故なら、祈るところに神は臨在してくださるから。

 

 また、いつでも讃美ができる人はさいわいです。主は讃美する人と共にいて、励まし、慰め、力を与えてくださるからです。ですから、苦しいときでも、悲しいときでも神を讃美するなら、神はその人と共にいて逆境から救い出してくださいます。

 

 歴代志下20章に、南ユダの国のヨシャパテ王の時代に、モアブ、アンモン、メウニの連合軍が攻めて来たときのことです。このときヨシャパテ王は116万の軍隊を持っていましたが、それに頼らずに、「ただ、あなたを仰ぎ望むのみです」と神に目を向けました。そして軍隊を総動員して、主に向かって歌をうたい、かつさんびさせました。

 

「主に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」とさんびしたとき、主は伏兵を設けて連合軍を打ち破られ、勝利をしたのです。

 

 柘植不知人先生は「讃美と感謝は信者の両翼だ」と言われましたが、恵まれたクリスチャンはいつも讃美することと、祈ることを怠りません。

 

 少し話はかわりますが、1982年の6月にフィリピンのマニラで「世界伝道会議」が開かれ、世界の94カ国から5千人の牧師、宣教師が集まり、約2週間の会議をしました。わたしもその一員として出席しましたが、その後の世界に多大な影響を与えた会議となりました。その出席者のなかには東欧の共産主義国の国から、またイスラム教の国からも危険を覚悟して参加していました。またソ連からも牧師たちが来られ、ステージの上で50人の力強い大合唱には強い感動を覚え、これからソ連にも何かが起こる予感を感じる大合唱でした。

 

また、中国から出席したという牧師の証しには深い感動を覚えました。中国には政府公認の教会と、非公認の教会があります。政府公認の教会は共産党政権の監視下にある教会ですから、福音にも制約があり自由に福音が語れません。そのために福音の自由を求める教会は地下に潜って集まりをしているため、時々露顕して捕えられて10年間監獄に収監されていたのです。

 

その牧師がこんな話をしました。収監されるときに聖書も讃美歌も没収されて何も持ち込むことができませんでしたが、頭の中にあるみ言葉でいつも慰められたそうです。また、いちばん辛い作業は便所掃除で、その先生は胸まであるゴム長靴を履いて便槽の中に入って、糞尿を汲み出す仕事をさせられました。鼻が曲がるほどの匂いのなかで大きな声で讃美歌を歌いながら作業をしたそうです。これが讃美の力ですね。この会議のなかでわたしは、これから世界に何かが起こるという予感がしました。

 

その予感が的中しました。その伝道会議の年の秋にルーマニヤの共産主義支配が崩壊し、チャウシェスクが処刑されました。それからドミノ倒しのように東欧の共産主義国家が崩壊していきました。そして翌年の1990年にはドイツにおいてベルリンの壁が破られて東西ドイツが統一されたのです。また、1991年にはソビエト連邦が解体されてロシアとなり、東西冷戦時代が終結したのです。

2015.9.13