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2015年8月30日

  

 

 高ぶって滅んだ王

 

 

『集まった人々は、「これは神の声だ、人間の声ではない」と叫びつづけた。するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった』(使徒行伝12章23節)

 

 

 このところはヘロデ王が神に審かれて滅んだところです。その原因は王の高ぶりでした。このヘロデ王はベツレヘムでイエスの誕生のときに殺そうとしたヘロデではなく、その孫で、イエスの弟子ヤコブを殺し、ペテロにまで迫害の手を伸ばした王でした。

 

 そしてこの場面は、ツロとソドンの人々が王に食糧援助を願い出たときのことでした。王は気持ち良くなり彼らの前で得意な演説をしました。ところが彼らは王の好感を得ようとして、「これは神の声だ、人間の声ではない」と叫びつづけました。すると王はいよいよ得意になり演説をつづけました。すると突然、王は倒れて死んでしまったのです。

 

「虫にかまれて息が絶えた」とありますが、「神に栄光を帰することをしなかったから」とあります。もし王が神を畏れる敬虔な人だったら、こんなときには彼らの間違いをただすべきでありましたが、それをしなかったのは王に高ぶりがあったからです。

 

 この点、パウロたちは違っていました。使徒行伝14章11節で生まれたときから歩いたことのない足の不自由な人が癒されたとき、群衆は声を張りあげ「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお下りになったのだ」と叫んで、礼拝をしようとしました。そのとき使徒バルナバとパウロは自分の上着を引き裂き、群衆のなかに飛び込んで行き、叫んで言いました。「なぜこんな事をするのか。わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である」と言ってたしなめました。ここに大きな違いがあります。彼らは神を畏れる人、敬虔な人だからです。

 

若いとき、未熟なときには謙遜ですが、それは自分にまだ自信がないからです。とろこが大成したとき、偉くなったときに人間は変わりやすいのです。「慇懃無礼」になって言葉使いまで変わってしまう人があります。それはそれだけの人です。しかし、ほんとうに立派な人は変わりません。ますます謙遜になるのです。ここに神に用いられる人とそうでない人の違いがあるのです。神に用いられる人はますます謙遜になります。

箴言16章18節に『高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ』とあります。

 

ダニエル書4章にバビロンのネブカデネザル王のことが書いてあります。彼はバビロン帝国の偉大な王でしたが、あるとき王宮の屋上から都を眺めたとき、「この大いなるバビロンは、わたしの大いなる力をもって建てた王城であって、わが威光を輝かすものではないか」と言って高ぶったために、人間の理性を失い、まるで獣のようになって牛のように草を食ったのです。しかし、しばらくして理性が回復したとき、彼は元に回復して神のもとに悔い改めて謙遜な王になったというのです。

 

詩篇29篇1節に『神の子らよ、主に帰せよ、栄光と力とを主に帰せよ』とあります。わたしたちが何か栄光が現れるようなことがあったとき、それを自分のものとしないで、一切の栄光を主に帰していくならば、神はそのような者をますます用いられるのです。

 

わたしの神学校の校長金井為一郎先生は、立派な神学者であるだけでなく、優れた伝道者で、また謙遜な人でした。先生の伝道50年の感謝会が開かれたとき、東京都内の教会から大勢の牧師たちが集まり、金井先生の多年の働きと功績を口々に讃えましたが、最後に先生がご挨拶されたときに先生は、「今日は、皆さんがいろいろなことを言ってくださいましたが、もし褒められるようなことがあったら、それは神がなされたことです。また、皆さんにご迷惑をおかけしたことがあれば、それはわたしの不徳のいたすことで、お詫びします」と挨拶をされたのです。それを聞いていて、「この先生は、ほんとうに謙遜な人だなあ」と、いまいちど尊敬したことでした。

 

ペテロ前書5章5節に『神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである』とあります。サタンはわたしたちを褒めて、いい気にさせて、それから足をすくうのです。これがサタンの常套手段です。ですから褒められたからと言って油断してはなりません。いやむしろ警戒する方が懸命です。

 

アメリカから来た宣教師が、ある教会で講演をして講壇から降りてきたとき、一人の日本人の女性が、「今日は素晴らしいお話でした。ほんとうに感動しました」と得意な英語で話しました。ところが、それを聞いた宣教師は「いまサタンも同じことを言っています」と答えたのです。わたしたちも人から褒められたとき、それを喜ばないで心を引き締めることが肝要です。サタンは褒めておいて足をすくうからです。

2015.8.30