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2015年7月26日

 

 

 ペテロの異邦人伝道

 

『そこでペテロは口を開いて言った、「神は人をかたよりみないかたで、神を敬い義を行う者はどの国民でも受け入れて下さることが、ほんとうによくわかってきました」(使徒行伝10章34節)

 

 このところは、ペテロが異邦人伝道に導かれるきっかけとなった出来事です。ユダヤ人は偏狭な選民意識をもっており、ユダヤ人以外を異邦人として蔑む傾向がありました。そこで神はこの出来事を(彼が見た幻を)とおして、「神はすべての民を偏りなく愛しておられる」という神のみ心を示されたのです。

 

 そのきっかけはペテロが夢のなかで見た幻でした。それは天から四隅をロープのようなもので吊るされた風呂敷のようなものが下りてきて、そのなかには四足、這うもの、空の鳥が入っていて、「それを食べよ」と声がありました。ところが、それらは汚れた物としてユダヤ人は普段食べないものでしたので、ペテロは躊躇していましたら、二度目に声があり「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」と言われたのです。こんなことが三度もありました。

 

 この出来事を通してペテロは『神は人をかたよりみないかたで、神を敬い義を行う者はどの国民でも受け入れて下さることが、ほんとうによくわかってきた』と言って神のみ心を知ったのです。またこんなことをも言っています、「神は、どんな人間をも、清くないとか、汚れているとか言ってはならないと、わたしにお示しになりました」と答えています。

 

 そんなときにカイザリヤに駐留するイタリヤ隊の百卒長コルネリオから迎えがきました。彼は異邦人でしたが「信心深く、家族一同と共に神を敬い、民に数々の施しをなし、絶えず神に祈りをしていた」というほど、敬虔な人、評判のいい人でした。そしてペテロを迎えて福音を聞いたとき、コルネリオとその家族の上に聖霊が下り、熱心なキリスト教徒となったのです。

 

 これがペテロが異邦人伝道に遣わされるきっかけとなったのです。そして「神が全世界の民を同じように愛しておられること」と、「全世界の民に福音を伝えなければならない、神の使命」が明らかにされたのです。イエス・キリストの福音は全人類に与えられた福音です。そして神の普遍的愛は人種や生まれ、素性を偏りみることはありません。真剣に神を敬い、神に求めてくるものを顧みてくださるのです。

 

 マタイ福音書5章44節に『天の父は、悪い者の上にも、良い者の上にも、太陽を昇らせ、正しい者にも、正しくない者にも、雨を降らして下さる』とあります。これが神の普遍的愛です。これに比べて人間の愛は偏狭で自分の好きな人しか愛せない、また自分のことしか考えないところがあります。そのよい例が預言者ヨナです。

 

 彼は「北イスラエル王国」でヤラベアムⅡ世の時代に活躍した預言者でした。ところがある日、神から声がありました。それは「ニネベの町に行って伝道せよ」という言葉でしたが、ヨナはそれを聞いて躊躇しました。それは、ニネベは異邦人の町で選民意識の強いユダヤ人であるヨナには、なかなか素直に受け入れられないことでした。しかもこの町の人々は神を畏れない町で、こんなところで「悔い改めなければ、40日後にはこの町は滅びる」なんて言えばどんな目に遭わされるか彼は恐れました。

 

 そこで彼は神に背を向けて逃れましたが。ちょうどタルシシ行きの舟があったのでそれに乗り込みましたら、突然の嵐に遭遇し死を覚悟しなければならない状況になりました。すると船長は「これはこの船の中に神に背いた人がいるに違いない。その人を海に投げ込んだら嵐も静まるだろう」と、くじ引きをしようとしました。そのときヨナは、「それはわたしです。わたしを投げ込んでください」と名乗り出たので、船長はそのとおりにしたところが、嵐が静まったのです。

 

 これから先はヨナが経験した不思議な出来事です。彼は大きな魚に飲み込まれ三日三晩、神に悔い改めたところが、魚がヨナを陸地に吐き出しました。そして再び神から、「ニネベに行き、あなたに命じる言葉をこれに伝えよ」と命じられましたので、ニネベに行き「40日を経たらニネベは滅びる」と言ったら、意外にも「ニネベの人々は神を信じて荒布を来た(悔い改めた)」のです。

 

 そこで神はニネベの町を滅ぼすことをやめられたのですが、それを知ったヨナは「これを非常に不快として、激しく怒った」とあります。それは自分の面子が潰れたと言って怒ったのです。本来なら自分の伝道の結果、ニネベの人々が悔い改めたのですから喜ぶべきところですが、彼も偏狭なユダヤ人だったのです。

 

2015.0726