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2015年7月19日

 

 

 サウロの回心について

 

『さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである…」(使徒行伝9章1節)

 

 このところは、サウロが回心したところです。サウロはユダヤ人の名前で、後に改名しいたパウロはローマ人の名前です。彼の父は裕福な人でしたので、お金でローマの市民権を買い取っていたのです。彼はパリサイ派の最高指導者であるガマリエルの門下生で、ユダヤ教の熱心な信奉者で、キリスト教を迫害することを使命に感じていた人でした。

 

 7章58節でステパノが石で撃ち殺されようとしたとき、「これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた」とあります。つまり彼は迫害者の上着を持ってけしかけていたのです。また8章3節には、エルサレム教会に対する迫害のとき、「サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った」とあります。

 

 このサウロがダマスコのキリスト教徒を捕らえて処刑しようとした道中で、突然、天から光がさして、めぐり照らしたので、彼は地に倒れ、「サウロ、サウロ、あなたはなぜわたしを迫害するのか」という声を聞き、彼は自分がしてきたことの間違いに気づき、回心したのです。この回心はまさしく人生の180度の転回でした。

 

 そして数日後には、「ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。これを聞いた人たちはみな非常に驚いた」とあります。また、「パウロはますます力が加わり、このイエスがキリストであることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せたとあります。

 

 このサウロが生まれ変わってパウロとなり、キリスト教会のために大きな貢献をしました。①は、イエスの教えを教理的に体系づけたこと。②は、新約聖書のローマ書からピレモン書の書簡はみなパウロの書いた書簡で、キリスト教の信仰の神髄を明らかにしたのです。③は、パウロの異邦人伝道(外国伝道)により福音が外国に広まりました。そして、その福音はローマ帝国にまで及び、西暦313年には皇帝コンスタンチヌスのときに、「ミラノ寛容令」でキリスト教が容認されるようになり、392年のテオドシウス皇帝のときにローマ帝国の「国教」となったのです。そしてローマ帝国は当時の世界の覇権を握っていましたので、キリスト教が世界宗教となったのです。しかし、これは神の摂理的な出来事でした。なぜなら西暦70年にローマ軍団がエルサレムを攻撃して陥落したので、エルサレムのキリスト教会も壊滅的打撃を受けて消えてしまったのです。もしパウロの異邦人伝道がなされてなかったら。キリスト教はどうなっていたか。

 

 つぎに、コリント後書5章17節に『だれでもキリストのうちにあるならば、その人は新しく造られた者である』とあります。つまり、どんな人でも、イエス・キリストを信ずる者は、聖霊の力によって生まれ変わることができるのです。ですからキリスト教のことを「生まれ変わりの宗教」だといいます。イエスを信じたらどんな人でも生まれ変わるのですから、「あの人は悪い人だ」と言ったようにレッテルを貼らない方がいいのです。それよりもその人のために祈ってください。

 

 こんな話があります。キリスト教の伝道団体である救世軍のブーツ大将がある夜、下町の暗がりを歩いていると、酒に酔っぱらった男が道端に寝転んでいましたので、付添いの士官が「あの男は、地獄に陥るしかありませんね」と言ったところが、ブーツ大将は「あんな男でも、救われて生まれ変わったら、立派な救世軍の士官になる」と言われたのです。ところが、その後、その男が回心して、ブーツ大将の言ったとおりの救世軍の士官となり、イエス・キリストのために活躍したということです。

 

 このようにクリスチャンは、「あの人も、いまにきっといい人になる」と期待することができるのです。コリント後書13章7節には『愛は…すべてを信じ、すべてを望む』とあるように、愛をもって期待して祈っていくときに、神は驚くようなことをなさるのです。異色なグループで「ミッションバラバ」という団体があります。十人ほどのグループですが彼らは元やくざでしたが、イエス・キリストを信じて救われてクリスチャンになったのです。そして熱心に伝道しています。中には神学校に行って大阪で牧師をしている人もいます。背中には消せない入れ墨があるので「入れ墨牧師」と自ら言っています。

2015.0719