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2015年7月12日

 

 

 ピリポの伝道

 

『しかし、主の使がピリポにむかって言った、「立って南方へ行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」(このガザは、今は荒れはてている)。そこで、彼は立って出かけた』。(使徒行伝8章26節)

 

 今日はピリポの伝道から教えられたいと導かれています。この彼の素晴らしいところは、神のみ声を聞いたときに直ぐに従ったところです。彼はエルサレム教会で選ばれた七名の執事のひとりで、「聖霊と知恵とに満ちた、評判のよい人」でした。ところがエルサレム教会に対して大迫害が起こり、使徒以外の者はことごとく、ユダヤ、サマリヤとの地方に散らされて行ったのです。これは、ある意味では大きな痛手でしたが、このことを神は益に変えられました。それは散らされて行った人々は、その行く先々で伝道したので福音がその地方にもたらされたのです。

 

 エルサレム教会は保守的な教会で、あまり地方に伝道するという考えがなかったので積極的に地方に伝道をするということはあまり考えていなかったようです。ところが、この迫害を通して福音が地方にもたらされたので、これは神の摂理というほかありません。「ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えはじめた」のです。そのために「この町で人々が大変なよろこびかたであった」とあります。また「ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた」のです。

 

 何故サマリヤの人たちは喜んで福音を受け入れたのでしょうか。それはサマリヤの歴史的背景にありました。少し歴史的に遡りますが、ソロモン王の死後、国は「北イスラエル王国」と「南ユダ王国」とに分裂してしまいました。そして「北イスラエル王国は二百年後にアッスリヤ帝国に滅ぼされ、首都サマリヤは陥落してサマリヤの多くの人たちはアッスリヤの地に連れて行かれました。これを「アッスリヤ捕囚」といいます。

 

 そしてアッスリヤの人たちをサマリヤに連れてきて住まわせたのです。これはアッスリヤの同化政策だったのですが、彼らはサマリヤの人たちと結婚したので、血の純潔を大切にするユダヤ人たちから嫌われ、軽蔑されるようになり、なにかにつれて差別されるようになり、親しく交わりをすることができなくなりました。たとえば北のガリラヤ地方の人たちが、南のエルサレムに行くときに、ちょうど中間地点にサマリヤの町がありましたが、そこを通ることを嫌ってわざわざ迂回して南下したほどでした。

 

 こんな状態でしたので、このサマリヤの町にユダヤ人が福音を宣べ伝えたので、サマリヤの人たちは喜んで受け入れてリバイバルの状態となりました。そんなときに神はピリポにガザに行って伝道するように命令したのです。このガザはかつてはペリシテ人の地で栄えた町でしたが、「今は荒れ果てている」とあるように、うらびれて普段はあまり人通りの少ない裏街道でした。そんなところに行って誰に伝道したらいいのでしょうか。それよりもこのままサマリヤの地に留まって伝道したほうがよほど有効であると考えられます。

 

 しかし彼は、神のみ声に素直に聞き従ったのです。ところが、ガザ街道でエチオピアの女王に仕える宦官の馬車に出会いました。彼はエルサレムで礼拝してエジプトに帰る道中でした。そこでピリポは馬車に乗り込んで彼が読んでいた聖書の説き明かしをしたので、宦官は救われて洗礼を受けました。そして彼はエチオピアで伝道しましたので、その国はキリスト教国となりました。ピリポは神のみ声を聞いたときに直ぐに従ったのが良かったのです。何故なら、相手も馬車で移動していたので、ぐずぐずしていたら出会うことができなかったんです。まさしくグッドタイミングでした。わたしたちも神のみ声を聞いたら直ぐに従うことが大切です。

 

 夜中に教会員から電話があり「いま医師から聞いたが、○○さんは今晩がやまだ、ということです」と知らせてくれました。そこで今している仕事がもう少しで片づくから、それから出掛けようとしましたが、気持ちが落ちつかず、仕事が手につかないのです。そこで仕事を止めて車で駆けつけました。病人の回りには家族、親戚が取り囲んで最後の時を見守っていました。病人は大きなイビキをごーごーとかいていました。

 

 「教会から来ましたよ。分かりますか」と言うと、一瞬イビキが止まり首を少しこちらに向けるような仕種をしました。わたしが来たのがわかったようです。そこで、その人の頭に手を置いて臨終の祈りをしました。そして「今日われ汝と共にパラダイスにあるべし。アーメン」と終わったと同時に、パタンと息が止まりました。「先生、この人を祈り殺した」と言われるのではないかと恐れました。

しばらく沈黙が続きましたが、親戚の人が、「この人、先生が来られるのを待っていたのだ」と言われてほっとしました。そして、直ぐに駆けつけてよかったと思いました。

2015.0712