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2015年6月28日

 

 

 万事を益にして下さる

 

『その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。…散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた』(使徒行伝8章4節)

 

 これはエルサレム教会に対する迫害事件でした。この事件は、誕生して間もない教会にとって大打撃となりました。ところが神はこのことをとおして万事を益に変えられたのです。それは「散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた」とあるように、散らされた地域で伝道しましたので、福音がこの地方にもたらされたのです。

 

 これまでのエルサレム教会では、どちらかと言えば保守的な教会でしたから、地方に福音を宣べ伝えるようなことをしなかったのです。ところが、このことをとおして福音の種が各地に蒔かれたのです。そして、このことをとおしてユダヤ、サマリヤの地方に教会が誕生しました。

 

 これは神の摂理でした。何故なら、西暦70年にローマ軍団がエルサレムを改めて滅亡し、多くの人たちは離散の民として地方に散らされて行きました。また教会も壊滅的打撃を受けたのです。しかし、その前にユダヤ、サマリヤ地方に福音の種が蒔かれていたのでキリスト教は地方に残ったのです。ローマ書8章28節に『神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益とするようにして下さることを、わたしたちは知っている』とあります。神は万事を益に変えてくださる「逆転の神」です。ですから、わたしたちに何か問題があるときも神を信じていくときに、神は驚くようなことをしてくださいますから、信仰をもって行くことが大切です。

 

 また、こんなこともありました。それはパウロのエペソ伝道のときのことでした。使徒行伝19章8節『それから、パウロは会堂にはいって、三か月のあいだ、大胆に神の国について論じ、また勧めをした。ところが、ある人たちは心をかたくなにして、信じようともせず、会衆の前でこの道をあしざまに言ったので、彼は弟子たちを引き連れて、その人たちから離れ、ツラノの講堂で毎日論じた。それが二年間も続いたので、アジヤに住んでいるものは、ユダヤ人もギリシヤ人も皆、主の言を聞いた』。

 

 これはパウロのエペソでの伝道のときのことでした。初めはユダヤ教の会堂を借りて伝道しましたが、三ヶ月ほどしてその会堂から追い出されました。恐らくパウロが語った福音が自分たちの教えと違いがあるのに気がついたのでしょう。突然に追い出されたパウロでしたが、彼らが祈っているうちに「ツラノの講堂」を借りることができたのです。これは哲学の学校で、この地方は昼食後は午睡のために授業もなく、商店街も夕方まで閉めてしまうという風習がありましたので、昼休みの間、その講堂を借りて集会を持つことができたのです。

 

 これは神が与えたサプライズでした。何故なら、「ツラノの講堂」は哲学の学校でガラテヤ地方の優秀な哲学の学徒が来ていましたので、彼らはパウロの語る福音を聞いてキリスト教徒に入信しました。そして彼らは学生ですから卒業後は各々の故郷に帰り、そこで伝道しましたので、各地の教会が誕生したのです。しかもパウロが足を踏み入れなかった地方に教会が誕生したのです。これは神がなされたくすしき御業です。

 

 もし、会堂で伝道が続けられていたなら、そこに出入りしたのはユダヤ人だけでしたので、福音もユダヤ人だけにとどまりましたが、会堂を追い出されてツラノの講堂に導かれたために、キリストの福音は異邦人にまで及んだのです。つまり、神はすべてのことを最善にしてくださったのです。「万事を益にしてくださった」のです。

 

 サムエル記上23節にこんな記事があります。ダビデの人気を妬み、将来の不安を覚えたソウル王は、彼を殺そうとして暗殺隊を送りましたが、いつも神の加護のもとに守られました。ところがマオンの荒野にいたとき通報するものがあり、こんどはソウル王が直々に出てきて、ダビデのいるところを包囲したしたのです。ソウル王の大軍に比べてダビデに従うものはわずか六百人、これでは危機一髪、風前の灯火の状態でした。

 

 いよいよ決戦というときにソウル王のもとに国元から伝令があり、「ペリシテ人が国境を侵犯した」と報告しました。それを聞いた王は侵犯したペリシテと戦うため兵を引き上げたので、ダビデは助かったのです。これは神がペリシテを動かしてダビデを助けられたのです。

201506.28