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2015年3月15日

 

 

彼らの信仰をみて

 

『イエスは彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。…すると病人は即座にみんなの前で起きあがり、寝ていた床を取りあげて、神をあがめながら家に帰って行った』。

(ルカ福音書5章20節)

 

 

 金曜日に卒業式と入学試験のために、日帰りで平塚の神学校に行ってきました。新神戸に着いたのが夜の9時頃でしたので、駅前からタクシーに乗りました。「下山手8丁目に行ってください」と言うと車が走りだしましたが、しばらく走ると運転手が「トーホーの先の信号を左に曲がればいいですね」と聞きますので驚きました。ただ「下山手8丁目」と行っただけなのに、この運転手はどうしてわたしの行く先を知っているのか驚きました。

 

 そこで、「信号を曲がったら、ずっと下におりてください」というと、「山手教会ですね」と言われて、わたしは車に乗ったときにただ、「下山手8丁目」と言っただけなのに、どうしてわたしの行き先がわかったのか不思議でした。そこで降りるときに「山手教会までよくお客さんを乗せますか」と聞きますと、「はい、よく乗せますよ。山手教会で降りられる方は、みな品のいい方ですね」と言われて、身の引き締まる思いがしました。

 

 コリント後書3章2節に、『すべての人に知られ、かつ読まれている』とありますが、わたしたちクリスチャンの生きざまは、この世の人たちから見られているのです。

 

 また少し昔のことです。教会の近所に住んでいた独り暮らしのお婆さんが、いつも小犬を連れて教会の前を散歩していたので、ある日、声を掛けました。そしてしばらく話した後で、「お婆さん、教会にいらっしゃいませんか」と言うと、「ありがとうございます。でも、いつも石段を登って教会に入って行かれる方を見ていますが、みなさん裕福な方ですね。わたしみたいな者が行けるところではない」と答えられたのです。やはりこのおばあさんも、いつも教会に出入りしている人に関心をもって見ていたのを知りました。わたしたちは、「すべての人に知られ、かつ読まれている」のです。ですから、いつも気を付けて行動したいものです。

 

 

 このところは、イエスが中風の人を癒されたところです。ある日イエスのおられるところに4人のひとが、中風の人を担架に乗せて連れてきました。ところが、その家は大勢の人たちで戸口まで満員で、病人を家の中まで連れ込むことができませんでした。そこで彼らは大胆な行動をしたのです。つまり屋根に上り、瓦をはいで穴を開けて、病人を中に釣り下ろしたのです。すると、ちょうどイエスがおられる前に病人が下ろされました。

 

 イエスはそれを見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われたのです。「すると病人は即座にみんなの前で起きあがり、寝ていた床を取りあげて、神をあがめながら家に帰って行った」のです。

 

 この病人が癒されたのは、「イエスは彼らの信仰を見て」とあるように、この病人を連れてきた人たちの信仰です。ここで「彼の信仰を見て」であれば、言うまでもなく病人の信仰と言うことができますが、「彼らの信仰」、つまり複数ですから、この病人を連れてきた人たちの信仰です。神は「本人に信仰がないからだめだ」、とは言われません。回りの人たちの信仰によっても御業を顕してくださいます。使徒行伝16章31節に『主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます』とあります。

 

 創世記19章29節に『こうして神が低地の町々を滅ぼされた時、すなわちロトの住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救い出された』とあります。

 

 これはソドムの町が滅ぼされたとき、ロトとその家族だけが救い出されたという話です。このソドムは神を畏れない不道徳で姦悪な町でした。そこで神はこの町を滅ぼそうとされたのです。ところがその町にはアブラハムの甥ロトとその家族が住んでいましたので、それを知ったアブラハムはその町が滅ぼされないようにと、神に執り成したのです。

 

 彼は、『まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう』と執り成したのです。つまり、この町に五十人の正しい人がいたからこの町を救ってください、と言ったのです。しかし、五十人もの正しい人もいませんでしたので、アブラハムもまた、『もし五十人の正しい者のうち五人欠けたなら、その五人欠けたために町を全く滅ぼされますか』と迫りましたが四十五人の正しい人もいませんでした。そのようにして十人まで迫りましたが、十人の正しい者がいなかったので、神は火と硫黄でもってソドムの町を滅ぼしましたが、ロトとその家族はその前に町を脱出して救われたのです。

 

 ロトたちは格別、そんな取扱いをされるような者ではなく、ソドムの町の人々と一緒に滅んでも仕方のない人たちでしたが、救われたのは「神はアブラハムを覚えて」とあるように、アブラハムの執り成しの祈りを神は聞かれたのです。わたしたちも、家族の救いのために祈るなら、皆さんの祈りに答えてくださいます。

 

                   (2015315