本文へスキップ

message

2015年2月1日

 

 

しあわせの条件は心の平安

 

『すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた』。

               (マタイ福音書8章24節)

 

 

 今日は「主にある平安」という題で話をします。このところはイエスが弟子たちと一緒に舟に乗ってガリラヤ湖を渡っていたときのことです。突然、激しい暴風が起こり、舟はのまれそうになりました。この舟のなかにはイエスの弟子になる前に、このガリラヤ湖で漁師をしていた人もいましたが、彼らが「死にそうです」というほどの激しい暴風でした。ところがイエスは眠っておられたのです。これはなんという平安でしょうか。

 

 さて、人間の求める幸福は心が平安なところに与えられるのです。どんなに財産があっても、家庭環境に恵まれていても心に平安がなければ空しいです。ある資産家がいました。ところが、その人は家の座敷の中に大きな金庫を造りました。しかもその扉の鍵が内側に付けてあり、畳が敷いていたのです。そして夜寝るときはその中に寝たのです。彼は決して奇人変人ではありません。あまりにもたくさんの財産があるので、それを狙って殺されないかと恐れたのです。家族さえも信じられないなんて、こんな不幸なことはありません。

 

 心に平安がないと、何かあれば直ぐに悪い方に考えてしまい動揺します。ある商店のご主人が胃のあたりに気になるところがあり、悪い病気ではないかと気にしていました。それを見た奥さんが、病院に行くことを勧めましたが、なかなか行く勇気がありませんでした。でも奥さんに押し出されるようにして近所の医院に行きました。医師は問診、触診した後で、机の上でカルテを書いていましたので、主人が「先生、わたしの病気はなんですか」と聞きますと、「いえん」と言ったのです。すると、悪い病気ではないかと疑っていた主人は、まっ青な顔をして病院を飛び出し、家に帰り布団の中にもぐり込んでしまったのです。それを見た奥さんが、「先生は何と言っていた」と聞きますと、「わしは相当悪いらしい。病名を聞いても本人に言ってくれないから」と言う返事でした。

 

 そこで、奥さんが病院に行き「先生、うちの主人はあとどれくらいですか」と聞きますと、医師は怪訝な顔をして何か考えていましたが、「あんたの主人は死ぬものか、病名を聞いたから、胃炎と言ったのに、勘違いをしたのだ」と答えたのです。家に帰った奥さんが、このことを伝えると、主人は再び店に出て働きだしたというのです。人間は弱いので、なにかあれば、すぐに悪い方に考えてしまうものです。それは心に平安がないからです。

 

 では、ほんとうの平安はどのようにしたら与えられるのでしょうか。ヨブ記2221節には『あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう』とあります。つまり、ほんとうの幸福はわたしたちが神と和らぐときに、神から与えられるものなのです。この「神と和らぐ」とは、神に罪を赦されるときに、与えられるのです。そしてこれが全き平安です。

 

 みなさんも、たとい天変地変が起こっても慌て騒がない、また動揺しないような平安が与えられたいものです。イエスもヨハネ福音書14章27節で、『わたしの平安をあなたがたに与える』と言っておられますが、この平安をいただきたいものです。

 

 今から50年前(1965年)に長野県の北信地方に群発地震が発生しました。明けても暮れても一日中、地震が起こるのです。それが一年間続いたのですから、たまったものではありませんでした。しかも、震源地は今は長野市になっていますが、ごく近くの松代町でした。震源地が近いとグラグラ揺れるのではなく、お尻の下からドンと突き上げてくるのです。震度はそれほど大きくはないのですが、一日中、ひっきりなしに繰り返されると神経が参ってしまいます。

 

 そんなある日曜日に、大きな地震が三度起きました。一度目は礼拝の最中、みんなで讃美歌を歌っているときでした。しかし皆さんは平然と歌い続けていました。わたしはこのとき主にある平安を覚えました。そして午後に隣町の公民館で結婚式の披露宴の最中に起こりました。すると悲鳴がして一勢に外に飛び出していきました。しかも冬で外には50センチほどの積雪のなかに足袋裸足で飛び出したのです。その逃げ足の速さには驚きました。残された者は、新郎新婦とわれわれ数名のクリスチャンだけでした。しばらくして皆んな式場に帰って来ましたが披露宴は白けてしまい、気の毒なことになって仕舞いました。

 

 三度目の地震は、その町での夕礼拝のときでした。このときは説教の最中でしたので、みんなの顔を見ていましたが、みんな顔色ひとつ変えないで聞いておられるのです。このとき「神から平安をいただいているクリスチャンは違うな」と教えられました。そして、そのときイザヤ書28節の『信ずる者はあわてることはない』(16節)というみ言葉を思い出しました。

 

 どうぞ皆さんもイエスを信じ、神と和解して真の平安を得ていただいてください。

                      (201521