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2014年12月14日

「イエスの譬話」シリーズ⑤

 

 

目をさましていなさい

 

 

『だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである』。                       (マタイ福音2513節)

 

 

 この譬話は婚礼で花婿を待つ10人の乙女の話です。そしてこの話は、キリストの再臨を待ち望む姿勢について教えているところです。そこでまず「キリストの再臨」について少し説明をしますが、イエスが十字架に掛けられて墓に葬られましたが、三日目にその墓から甦えられました。そして40日の間に幾たびも弟子たちの前に現れ、復活されたご自分の姿を弟子たちに現され、復活の信仰をお与えになりましたので「弟子たち主を見て喜べり」とあります。

 

 そして40日後、多くの弟子たちの見守るなかを雲に乗って天に昇られたのです。このとき御使が「なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有り様でまたおいでになるであろう」と語りましたが、これがキリストの再臨のことです。

 

 つまり、世の終末が起こる前にキリストが天から下ってこられる。これが「キリストの再臨」と言います。そして先に召された者を含め、キリストを信ずる聖徒たちを天に引き上げられ、空中で主に会い、先に召された愛する者たちと再会することができるのです。そしてこの譬話は、この再臨を待つ者の心がまえを語っているのです。

 

 この譬話は、ある家で婚礼があり花嫁の友人たちが手に手に明かりを持って参列しました。この当時の婚礼は夜に行われたようで、今日のように照明施設がないので、各自が明かりを手にして参列したのです。ところが花婿の到着が遅れたのでみんな居眠りをしていたら、真夜中に花婿が到着をしたことを知らされましたので、乙女たちは花婿を迎えるために出掛けようとしましたが、明かりの灯火が消えかかっていました。そこで5人の乙女は用意していた油を継ぎ足して火を灯しましたが、5人の乙女は用意がありませんでしたので町に買いにいっている間に戸は閉められて婚宴は始まっており、遅れてきた5人の乙女たちはその席に入れてもらえなかったという話です。そしてイエスは最後に『目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである』と語って話を終っておられます。

 

 つまり、キリストの再臨はいつ来るかわからないから、いつ来ても迎えられるように、心を潔めて備えをしているようにと教えられたのです。油を絶つことを「油断」と言いますが、わたしたちも油断をしないで、いつキリストの再臨があっても主を迎えられるように、普段から油を用意して備えをしたいものです。

 

 わたしたちが用意する油は「聖霊の油」です。いつも火を燃やし続けていないと火は直ぐ消えてしまいます。故に普段から絶えず燃やし続けることが大切です。旧約聖書のレビ記6章13節に『火は絶えず祭壇の上に燃え続かせ、これを消してはならない』とあります。また、そのために『祭司は朝ごとに薪をその上に燃やし』とありますが、この薪をくべるとは「祈り」です。朝ごとに祈りの薪をくべることが、信仰の火を絶やさない秘訣です。

 

 次に、キリストの再臨は、いつ来るかわかりません。ですから油断をしないで、いつも目を覚ましていることが肝要です。ルカ福音書21章36節に『人の子の前に立つことができるように、絶えず目を覚まして祈っていなさい』とあります。「平和だ、無事だ」と言って怠惰な眠りに陥っていたら、再臨のときに取り残されます。

 

 ローマ書13章11節『あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである』。

 

 最後に、『その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子(イエス)も知らない、ただ父()だけが知っておられる』(24章36節)とあります。つまりキリストの再臨の日は隠された秘儀です。ですから、いつ来られるか詮索するよりも、いつ来られてもいいように普段から備えをしておけばなにも恐れることはありません。

 

 こんな話があります。昔ドイツの片田舎の教会で牧師が「○年○月○日にキリストの再臨がある」と語ったのです。すると村民は熱心に教会に来るようになり再臨に備えたのです。そして、いよいよその日が近づくと、「あなたに貸していた借金はみなゆるしてやる。再臨がきたらそんなものを持っていてもなんにもならない」と許してやったのです。また土地を貸していた人も「もう土地はお前にやる。再臨がきたらそんなものを持っていても意味がない」と許したのです。

 

 いよいよその再臨の日になりましたので、村民は教会に集まり、お祈りをしながらその時を待ちましたが、夜中の12時が過ぎてもキリストの再臨はありませんでしたので、それから問題が起こりました。「借金を返せ」「いやあれは許してくれたはずだ」「あのときは再臨が来るということだったから。事情が変わったのだ」といった争いが起こり、村民の間で裁判問題になったそうです。

 

 前掲のみ言葉のように、その日は「子(イエス)も知らない。父()だけが知っておられる」とあるように、隠された秘儀なのです。それなのに何故ドイツの牧師が知ったのでしょうか。もしこんなことを言う人があれば気をつけなければなりません。

 

 今年も主のご降誕祭を迎えますが、ユダヤのベツレヘムの馬小屋でいち早く幼な子を礼拝したのは羊飼いでした。彼らは夜通し寝ないで羊の番をしている人たちでしたから、大きな星を見た時、異変に気がついたのです。そして御使から救い主の降誕を知らされ、馬小屋のなかの飼い葉おけに寝かされている幼な子を礼拝することができたのです。つまり目を覚ましていたからです。しかし、同じベツレヘムには大勢の旅人が滞在していましたが、彼らは旅の疲れで眠っていたので救い主の降誕を知りませんでした。

 

 この当時に現れて博士たちを導いた大きな星は「ハーレー彗星」だと言われています。そしてハーレー彗星の出現から計算して、イエスの誕生の年を推定することができたのです。最近では1986年に出現していますので、76、02年の周期で地球に近づくと計算されています。

『だから目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである』(24:42)

『だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけないときに人の子が来るからである』(24:44)

 

 福音讃美歌121番

いつ主は来たりたもうや たれも知らねば

われらはたえず目覚め  まもるべきなり

身もたまもおもいも   みな潔められ

主を待ちのぞむものは  いと麗しきかな

                     (20141214