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2014年11月9日

「御霊の実」シリーズ⑥


 

小事に忠実な人たちは

 

『御霊の実は愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない』。ガラテヤ書522

 

 

 「御霊の実」シリーズとしてお話ししていますが、本日は「忠実」について話します。この忠実とは字典を開きますと「まごころを尽くしてよく務めること。また裏表のない態度」とあります。そして、その言葉も聖書のなかによく出てくる言葉です。例えばヨハネ黙示録2章10節には『死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう』とあります。そして、この忠実もまた御霊の力によって神から与えられるものです。ですから皆さんも御霊に満たされて忠実な人になってください。

 

 本当に忠実な人は、大きな事に忠実であるばかりでなく、小さな事にも忠実な人です。ルカ福音書16章10節に『小事に忠実な人は、大事にも忠実である』とあります。マタイ福音書25章14節以下にこんな話があります。ある資産家の主人が長期の旅にでることになったので、店の者たちにその留守を任せることにしました。そこで、ある従業員には5タラントを預けました。また他の人には2タラント、またもう一人には1タラントを預けて出掛けました。

 

 そして主人が帰ってきたとき、5タラントを預かった人はそれを元手にして稼ぎ、儲けた5タラントを添えて主人に返しましたら、主人は「良い忠実な僕よ、よくやった」と言って喜び、「あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう」と言って、大変喜んだというのです。

 

 次に2タラントを預かった人は、やはりその元手を生かして2タラントを儲け、それを添えて主人に返しましたので、主人は同じように「良い忠実な僕よ、よくやった」と褒められたのです。ところが、1タラントを預かった人は、主人から預かった大切なお金を泥棒に取られたら大変だと、地下に埋めて隠してしまいました。そして主人が帰ってきたとき、それを掘り出して主人に返しましたら、主人は「それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに」と、そして、「怠惰な僕よ」と怒られたというのです。

 

 ここで主人が三人に異なった金額を預けたのは、その人の力量に応じた扱いで、決して差別をしたのではありません。何故なら、もし力量のない人に多く期待したら、その責任感に押しつぶされてしまうからです。ですから1タラントを預かった人は、その1タラントで一生懸命に働けばよかったのです。

 

 次に、忠実な人は「人が見ていなくても裏表のない人です」。この世の人たちは人が見ていると真面目に働きますが、誰も見ていないと怠けたり狡い事をします。ところがクリスチャンは人が見ていなくても裏表がありません。それは『神は隠れたことを見ておられる』という信仰があるからです。マタイ福音書6章4節に『すると隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださる』とあります。この「神は隠れたことを見ておられる」とは、キリスト教の大切な「神観」です。

 

 あるクリスチャン家庭に二人の子供がいました。一人は小学校に入ったばかりのお兄ちゃんで、もう一人は一つ年下の弟でした。二人は仲良くいつも一緒に遊んでいました。ある日、お兄ちゃんは自分の小遣いでプラモデルを買ってきて、それを組み立てて遊んでいました。弟もそれで遊びたくてもお兄ちゃんは「お前は壊すからだめだ」と言って貸してくれません。そこである日、お兄ちゃんが学校へ行っている間にお兄ちゃんの机の引き出しからプラモデルを出して遊んでいましたら、それを壊してしまいました。青くなった弟はまたお兄ちゃんの引き出しにしまいました。

 

 学校から帰ったお兄ちゃんはそれで遊ぼうと引き出しを開けたらプラモデルが壊れているのを見つけ、そこで弟に「これを壊したのはお前だな」と問い詰めましたが、弟は「ぼくは知らない」と言うばかりでした。そこでお兄ちゃんが「お前、神様の前に出てもほんとうに知らないと言えるか」と言うと、しばらくもじもじしていましたが、やがて観念して「お兄ちゃん、ごめん」とあやまりました。この二人は小さいときから教会学校に行っていて、「神様は隠れたことを見ておられる」、ということを教わっていたので、お兄ちゃんを騙しても神さまを騙すことは出来ないことを知っていたからです。この経緯(いきさつ)を見ていたお父さんは、「子供のときから、宗教教育をすることは大切ですねと、わたしに話してくれました。」

 

 最後に、ルカ福音書8章17節『隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない』。

 

 コリント前書4章5節『主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされる』。

                        (2014.11.09