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2014年10月19日

「御霊の実」シリーズ③

御霊の実は平和


『御霊の実は愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない』。ガラテヤ書522

 

 「御霊の実」シリーズとしてお話していますが、本日は「平和」について話します。

どんな人でも御霊に満たされたら平和な人になるということです。聖書には平和についてたくさんのみ言葉がありますが、そのなかでも有名なのがイエスが語られた『平和をつくりだす人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう』(マタイ福音書59)とあります。また『できる限りすべての人と平和に過ごしなさい』とパウロも語っています。(ローマ書1218)。つまり、神のみ心は世界人類が平和であるということです。

 

 それなのに、人間はなかなか平和を守れませんのは、人間が罪深いからです。ローマ書315節に『彼らの足は血を流すのに速く、彼らの道には、破壊と悲惨とがある。そして、彼らは平和の道を知らない』とあります。そのために気に入らぬとすぐに紛争を起こしてしまいます。これは神との平和がないからです。

 

 ある歴史学者がこんな報告をしています。「人類の歴史は戦争の歴史だ」と。そして「数千年の歴史の四分の三は、地球上のどこかで戦争、紛争があった」と。またある人は「過去三千五百年間に九百二回の戦争があり、千五百十六回の内乱があった。それも二十世紀に入ると八倍になった」と言っています。そして今も地球上のどこかで戦争、紛争が起きているのです。

 

 獰猛な肉食動物(たとえばライオンなど)でも、必要以上(自分が食べるだけしか)の殺戮をしないのに、最も平和を愛さなければならない人類が、なぜこのような争いをするでしょうか。それは人間が罪人だからです。

 

 神は平和を愛する者を祝福されます。今から三千年ほど前のイスラエルの統一王国の最後の王にソロモンという人がいましたが、その時代は「ソロモンの栄華」と言われるほど国家が繁栄しました。彼は神殿建築に七年間、王宮建築のために十三年間。つまり二十年間の長き歳月を建築事業に力を注ぐことができたのは、「周囲に太平を賜ったから」と書いています。つまり周辺の国々との間が平和だったからです。

 

 今日の日本の繁栄は、戦後、新憲法で「戦争放棄」をしたからです。そして、その日本人の叡知(優れた才知)を平和産業に注いできたので、世界中が認める優れた成果を得ることが出来たのです。

 わたしが子供の頃には「メイド イン ジャパン」といえば、「安かろう、悪かろう」といわれ、粗悪品の代名詞のように言われていましたが、今は世界のブランドになり世界中の人々が日本製品を買い求めているのです。これは戦争放棄をして平和産業に貢献してきたからです。ところが再び「憲法改正」「集団的自衛権」といった議論が起こっています。わたしたちクリスチャンはどこまでも平和を大切にしていかなければなりません。それは神のみ心だからです。

 

 第二次世界大戦の戦勝国であるアメリカは、その後間もなく朝鮮戦争に国連軍として参戦しましたが、休戦という勝利なき戦いに終わってしまいました。まだ共産主義の南下を阻止するためにベトナム戦争に参戦しましたが、これも勝利を得ることなく撤退を余儀なくされたのです。

 

 また1990年にイラクがクエートを武力で占領したので、アメリカが軍隊を送り込んで解放しました。これを「湾岸戦争」と言って皆さんの記憶にまだ新しいことです。ところがフセインを倒したものの後味の悪い戦争でした。そして今もイスラムのテロ集団と「イスラム国」を殲滅するために戦い、後に引けない状態です。

 

 そのためにアメリカの国力は低下し、戦後、1ドルが360円だった為替相場が、竹下蔵相のときに「プラザ合意」により、1ドルが242円になりましたが、今日100円前後にまで円高になっています。これはドルの力が低下したからです。それほど日本の経済が復興したということです。そして戦争から戦争をつづけたアメリカの国力は低下したのです。

 

 神は平和の神、平和を愛するお方です。ですから平和を守る者には豊かに祝福してくださるのです。しかし、いくら平和でありたいと願っても、罪びとであるわたしたちはなかなか思うようにはいきません。さきほどのみ言葉のように、わたしたちが聖霊に満たされるときに、神から平和の力をいただくのです。ですから皆さんも御霊に満たされて平和の人になってください。

 

 創世記にはアブラハムの息子イサクは平和の人物として登場します。彼はペリシテ人やゲラルの人に迫害されて苦しめられましたが、彼は最後まで自分の権利を主張して争いませんでした。それよりも百歩譲って平和を守りましたので、最後は彼らの方から和解を求めてきたのです。「彼らが和解を求めてきたら平和にしてやろう」ではなく、彼らが求めなくても、こちらの方から平和をつくりだす。

これがクリスチャンの平和です。

『平和をつくりだす人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう』。

                        (201410.19)