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2014年9月28日

「御霊の実」シリーズ①

御霊の実は愛…

 

『御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、 自制であって、これらを否定する律法はない』。    ガラテヤ書522

 

これからしばらく、「御霊の実」シリーズとしてお話します。つまり御霊に満たされると上記のような実を結ぶことができるのです。そして今日は「愛」について学びます。愛は人間ならだれでももっていますが、これは人間の本能的な愛で有限的なものです。つまり自己愛で、自分の好きな人は愛することができますが、場合によってはその愛も消えてしまうことがあるからです。

 

ある町に仲のいい夫婦がいました。家の中でも、外出するときも一緒で、その仲のよさを見て町の人たちは「おしどり夫婦」と呼び、「自分たちも歳をとったらあんな夫婦になりたいね」と言われるほどでした。ところが、そのお婆さんが病気になりましたので、甲斐甲斐しく看病をしているに違いないと話し合っていました。ところが事実は反対だったので、町の人たちは驚いていました。

 

いつも側にいてくれるお爺さんがいないので寂しく、「お爺さん、お爺さん」と呼んでも、お爺さんは襖の向こうから「お婆さん、何か用か、用があるなら言ってくれ」と言うばかりで、ちっともお婆さんの病室に入ろうともしなかったのです。お爺さんは病気が感染するのが怖かったのです。『全き愛は恐れを除く』とありますが、この夫婦の愛は本当の愛ではなかったのです。

 

ある日、教会員の女性が友達を連れてきて、「先生、この人を救ってください」と言ってきました。話を聞きますと婚約を破棄されて自暴自棄になっているというのです。この女性は一人の男性と婚約をしていましたが、先日、その婚約者が家を訪ねてきて式の相談をして楽しいひとときでした。そして、その男性が帰るので国道のバス停まで送り、側道を歩いて帰っていたところを、後ろから来るダンプに撥ねられてしまいました。すぐに婚約者は駆けつけてくれましたが、頭から足の先まで、まるでミイラのように白い包帯を巻かれている姿を見て、何も言わずに帰ってしまいました。それっきり、いくら待っても姿を見せませんでした。

 

一ヶ月ほどして仲人さんが来られて、「先方さんは、この縁談はなかったことにしてくれ」と言ってきたのです。その理由は「あなたのほほに傷があるから」ということでした。その日は二人の結婚式の日でした。そんなことで自暴自棄になり荒れた生活をしているのをみて、その友人が「そんなことをしていたら駄目になる」と教会に連れてきたのです。そこでわたしは絶対に裏切らない神の愛を話して信仰に導き、救われました。

 

このように人間の愛は、時と場合によっては無効になることがあっても、神の愛、つまり聖霊によって与えられる愛は普遍的な愛で、ひとたび愛すると言われたら、どこまでも愛しとおしてくださる愛です。神はそれを赦し、愛し続けてくださるのです。

 

エレミヤ書313節に『わたしは限りない愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた』とありますが、この神は「限りなき愛」、無限の愛です。人間の愛は有限で、時と場合によって変わることもありますが、神の愛は無限です。

 

三浦綾子さんの「細川ガラシャ夫人」という題の小説があります。そのなかに明智光秀の美しい結婚話があります。光秀は京都の本能寺で織田信長を裏切ったとしてあまり人気はありませんが、この話には光秀の愛(やさしさ)が描かれています。彼には幼いときから親同士で約束を交わしていた許嫁がありました。相手の女性は妻木かげゆ左衛門の娘「ひろ子」でした。

 

そして光秀の十八歳のときに婚礼となりましたが、婚礼の日が近づいたある日、ひろ子は高熱に冒されました。何とか熱は下がりましたが、顔にあばたが残りました。疱瘡で見るかげもない姿になってしまいましたが、父親は明智家との縁談を諦めることができず、なんとかして明智家との縁戚を保ちたいと考えました。そこで考えついたのは、二歳下の八重を替え玉にすることでした。

 

輿に乗せられて国境まで送られた八重は、そこから明智家の者に迎えられて明智領に入りました。この時代は戦国時代で両家が一緒になって婚礼をするなんて考えられない時代でした。そんなことをすれば酒の中に毒を盛られて殺されるような時代でしたから。

 

八重の父は、今ごろ婚宴の最中とおもっていると、玄関の方が突然騒々しくなり八重が光秀からの書簡をもって帰されたことを知りました。替え玉が露顕したのです。父は震える手でその書簡を読みました。「余が許嫁せしはおひろ殿にて、お八重殿では御座なく候。たとえ面変わりされし候らえども、世が契りたるはおひろ殿にて御座候…」とありました。そこで八重が帰された輿に再びひろ子を乗せて送り出したのです。この手紙を現代語にすると、「わたしの婚約者はおひろであって八重ではありません。たとえ顔形が変わってもわたしの結婚する相手はひろ子です」。これは心を痛めているひろ子に対する光秀の愛情だったのです。そこで二人は睦まじく結ばれ、与えられたこどもを「たま子」と名づけました。そしてキリシタンとなりガラシャとなりました。    (2014.9.28