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2014年9月14日

わたしが出会った人物シリーズ⑦

  祭壇のあるところで

 

『神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである』

(コリント前書1510)

 

 

 わたしが長野の教会に赴任したとき、礼拝出席者が20名ほどで、ほとんどが小学生の教員とその家族だった、という話をしましたが、その他に印刷会社の社長が二人いました。そこで今日はその一人の話をします。

 

 わたしが赴任した最初の日にその社長が、「わたしは昔、坊向久正先生に大変お世話になりました」と挨拶をされましたので、話を聞くと大阪時代に不思議なご縁で富善太郎という人に出会ったそうです。その方は神戸の山手教会の信徒で、その方に連れられて神戸に行き父に会って信仰の導きを受け、それから信仰に入ったそうですが、戦争が厳しくなり郷里の長野市に疎開されました。

 

 戦後は、製本業を初め、東京の大手の印刷会社の製本をしていましたが、その後は自ら印刷業をはじめ、業界の信用を得て大手の印刷会社の仕事をもらって仕事の手を広げ、その町では屈指の印刷会社となりました。そして東京の神田町にも印刷会社をつくりました。

 

 その人が晩年に出版した自叙伝「恩籠の77年」の中で、『神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである』(コリント前書1510)のみ言葉を取り上げています。つまり、このような栄えは神の恵みだと、神に栄光を返しておられるのです。

 

 そこで、この方の信仰の姿勢について少し話しますと、この方は毎朝四時に起床をして近所の銭湯に行き、その後は自宅の書斎で聖書を読んでお祈りをするのが日課でした。家族のために、会社のために、従業員のために祈ってから会社に出るのが日常でした。

 

 また、この方は聖日の礼拝を守ることが生活の第一原則とし、どんなに仕事が忙しくても礼拝を休むことをしませんでした。ある日曜日の礼拝の後にその方が「これから東京に行ってきます」と挨拶をされましたので、話を聞きますと、先週から東京の会社に出掛けてていたそうです。そして自分の教会で礼拝を守るために土曜日に長野に帰ってこられたことを知りました。

 

 東京にもたくさん教会があるのに、自分の教会で礼拝を守るために帰って来るなんて、その人の敬虔な姿勢を伺い知ることができました。それでその方の会社が祝福を得ていたことを知りました。

 「礼拝は、どこで守っても同じだ」と言った人がいましたが、そんなことをしてウロウロしていたら、信仰浪人になってしまい、そのうちに礼拝の姿勢さえ失ってしまいます。礼拝は自分の教会の自分の祭壇のあるところで守ることが肝要です。またそのような人が神の祝福を受けるのです。

 

 長野県飯田市に竜丘という町がありますが、そこに「竜丘基督伝道館」という名の教会があります。とても歴史の古い教会で、昔は高橋三津平先生が牧会をしておられました。この先生は信徒の訓練にはとても厳しく厳格でした。礼拝堂に入りますと(昔は畳敷きの教会で座布団を敷いていましたが)、講壇に向かって右側が男子席、左側が女子席と決まっていました。そしてお互いに相手の異性の方を向くことは許されず、声を掛けることも、挨拶をすることも許されませんでした。

 

 あるとき、二人の男女が高橋先生のところに呼ばれていきましたが、先生はいきなり「あなたたちは結婚しなさい」と言われ、そのときはじめて相手の顔を見て、こんな人が教会にいたのかと知ったと話してくれました。その二人の間に生まれたお嬢さんがこの山手教会におられますが、それほど男女のことは厳格でした。教会の中で恋愛ざたなんかもっての他だったのです。

 

 もう一つ、高橋先生が厳格に教育されたのは、聖日礼拝を守る姿勢でした。どんなに犠牲を払ってでも礼拝を厳守する、それは神に対する敬虔のあかしだからです。その教会の信徒の人に話を聞いたことがありますが、東京に出張していても、日曜日には竜丘に帰って礼拝を守り、また午後から東京の出張先に戻ったそうです。長野の印刷会社の社長さんと同じです。

 

 山手教会にも礼拝を第一に守ることを大切にしている人がいました。彼は礼拝出席は40年間、皆勤を通されましたので、会社で慰安旅行があっても日曜日だと行ったためしがありませんでした。あるとき、長野県の軽井沢でキリスト教の集まりがあり、彼も出席しました。その集会のプログラムは真ん中に日曜日が挟まれており、礼拝もプログラムされていましたが、その方は土曜日にわざわざ神戸に帰って自分の教会で礼拝を守り、その午後にまた軽井沢に赴いたのです。まだ新幹線も無い時代の話です。

 

 1995年の阪神淡路大震災の直後の礼拝のことです。電車もバスもなく出席できた人は歩いてこれる範囲の人たちで30名ほどでした。わたしは講壇の上から皆さんの顔をみながら、「あの方の皆勤の記録も遂にストップしたな」と思っていましたら、なんと礼拝の終わりころにその方が教会に来られたので驚きました。

 礼拝の後で、「電車もバスもないのに、どのようにして来たのですか。まさか尼崎から歩いて来たのではないでしょう」と聞きますと、尼崎からJRの福知山線で三田まで行き、そこから神戸電鉄に乗り換えて谷上まで下り、また北神急行電鉄で新神戸駅に出て、そこから歩いて来たと言うのです。それを聞いて驚いてしましました。それほど彼は礼拝を守ることを大切にしたのです。

 

 キリスト教の団体で、聖書を配布するのを使命とする団体があります。ホテルの引き出しには必ずといっていいほど新約聖書がありますが、これはその団体の活動です。また学校で生徒たちに聖書を配布する働きをしていますが、これは尊い働きです。

 

 わたしはこの働きには理解をし、尊敬しますが、少しひっかかるところがあります。それは委員の人たちがラリーと称して各教会を訪問して募金を募るのですが、そのために自分の教会を平気で休むことです。大勢の教会でもそうですが、30名や40名の礼拝出席者の教会では、たとえ一人でもその人たちが抜けると教会に与える影響が大きいのです。牧師にとっては教会員の皆さんと一緒に礼拝を守りたいのに、彼らが公然と抜けるのは牧師の心に大きな痛みとなっているのを知っているでしょうか。また、なんとかならないものでしょうか。よい働きをしている人なら、なおさら礼拝を守る姿勢においても信徒の模範になっていただきたいと願います。

 

 やはり礼拝は自分の教会で、自分の祭壇のあるところで守りたいものです。「どこで礼拝をしても一緒だ」といった気持ちなら、あちらこちらの教会をウロウロしている間に、礼拝浪人のようになり、信仰も危なくなります。いろんなかたちで、礼拝を守る姿勢はその人の神に対する敬虔さの現れです。まず「自分の教会で」、「自分の祭壇のあるところ」で守りたいものです。

 皆さんの上に、神の祝福をお祈りします。

                          (2014,09,14)