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2014年9月7日

わたしが出会った人物シリーズ⑥

  真昼のように明らかに

 

『あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め』(詩篇375)

 

 わたしたちは、ときには思いがけない誤解を受けることがあります。そして、自分の正しさを弁明してもかえって言い訳にしか思われず、悔しい立場に立たされることがあります。しかしクリスチャンは神を信じて耐えていくならば、神がわたしたちの義(正しいこと)を明らかにしてくださるのです。だから『主の前にもだし、(沈黙を守って)、耐え忍んで主を待ち望め』とありますように、耐え忍んでいくならば、神がその義を明らかにしてくださいます。

 

 イエスも捕らえられて十字架に掛けられる前にピラトの裁判をうけました。ユダヤ人たちはイエスをなき者にしようと、あらゆることを言って訴えましたが、裁判官であるピラトが不思議に思うほど、イエスは最後まで一言も弁明をしませんでした。そのため死罪を宣告され十字架刑に処されたのです。しかし神はイエスを三日目に墓から復活させて、イエスの義を(正しかったことを)明らかにされたのです。

 

 もしイエスが自分の義を弁明したら死刑になることはなかったとおもいます。しかし、それでは自分の義は明らかになっても、人類のための罪の贖いは完成されません。ですから、イエスは神の目的を完成するために、自己に死にきって十字架に掛かられたのです。

 

 今日は、ある町の町長さんの話をします。この方は将来牧師になることを志し同志社大学の神学部で学んでおられましたが、父親が亡くなったので家業を継ぐために大学を断念して郷里に帰りました。そして家業を継いでいましたが、町の人たちから請われて町長になりました。彼はクリスチャン町長として町政に励みましたので、町民から信頼されていました。

 

 ところが、あるとき友人が尋ねて来て、「町長、あなたのことを、あの町長はいい人だがケチだという噂がある。これからのことがあるから気をつけたほうがいい」と忠告をしたのです。その噂の出所は、この町では、町の祭とか小学校の運動会などのときに、町の人たちが寄付をする習慣がありました。そして半紙一枚ほどの紙に、「誰々様から、金○○円を寄付していただきました」と書いて、町のあちこちに張り付ける習慣がありました。ところが、いつ見ても町長の名前が張り出されたことがない、ということから、「町長はケチだ」と噂されるようになったのです。

 

 そこで町長は友人に言いました。「昨日、小学校に行って校長さんに寄付を渡してきたよ。でも紙に書いて張り出さないでくれ、そんなことをすれば来年から寄付をしないから、ときつく言ってきた」と話したのです。彼はクリスチャンですから「右の手にしたことを、左の手に知らせるな」という教えを守ったのです。

 

 その町長さんが亡くなりまして一ヶ月の記念会の席上で、その友人がこの話をしたとき、そこに集まっていた町民の皆さんがそれを聞き、町長さんの人柄を改めて知ったというのです。『主は、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる』というみ言葉のとおりでした。

 

 昔、ある町で大火があり、町の大半が焼失するという事件がありました。そしてある人が、「火元は住吉屋さんだ」と言ったので、「住吉屋の大火と言われるようになりました。しかし住吉屋にすれば、火元だといわれるところには火の気はなく納得できず、その訴えた人を恨んでいました。

 

 ところがある日、東京から親戚の青年が火事見舞いにきてくれ、帰り際に「わたしは貧しい伝道者なので、あなたになにもあげるものはないが、わたしがいちばん大切にしているものをあげます」とポケットから小型の新約聖書を置いて帰りました。

 

 その聖書をよんだところ、イエスが十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないのですから」と自分を殺そうとする者の赦しを神に祈っているところを読み、彼も憎んでいた人を赦すことができたのです。そして彼もクリスチャンとなりました。

 

 それから二十年後のある日、町外れの木賃宿の人が尋ねて来て、「うちのお客さんが住吉屋さんに会って謝りたい」と言っているからと言ってきました。住吉屋さんはそんな人には覚えがありませんでしたが、そのお婆さんは余命いくばくもないと聞かされて、尋ねてみましたら、そのお婆さんは宿賃も払えなくなったのか、日も当たらないような布団部屋で寝かされていました。

 

 そのお婆さんに来意を告げると、お婆さんは「住吉屋さんに申し訳がない。二十年前に火をつけたのはわたしだ。住吉屋さんに恨みがあったのではなく、隣の家に恨みがあったので火をつけたのに強風のため日がお宅の方に燃え移り、住吉屋さんが火元になってしまった」と告白して、それから間もなくお婆さんは息を引き取りました。

 

 こんなことがあって、町の人たちは火事の真相を知り、「住吉屋の大火」とは言わなくなりました。彼がクリスチャンとなったため神がその義を明らかにされたのです。                                 (2014.09.07)