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2014年8月10日

わたしが出会った人物シリーズ②

裕福な資産家夫人の話

 

『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである』。

(テサロニケ第一書516節)

 

 長く牧会をしていますといろいろな人に出会います。そして、そんな人を通して数々のことを教えられてきました。そこでわたしの牧会生活の総決算として、それらの人を通して教えられたことをまとめてみます。

 

 ある時から細身の和服がよく似合う上品な夫人が教会に来られるようになりました。熱心に礼拝を守っておられるので、ある日その家を訪問しましたが、教えられた住所を尋ねても、その番地にはそれらしい家は見当たらないのです。そしてその住所地にはまだ未完成な平屋の小さな家屋が一軒あるだけでした。それはあの上品な夫人の家屋とは似つかないものでした。

 

 そこで、とにかくこの家の人に聞いてみようとその家を訪ねてみましたら、奥から出てきたのがその奥様でした。「先生、よくお出でくださいました。どうぞお上がりください」と言われて上にあがらせてもらいましたが、家の中は工事が未完成で、壁は粗壁で天井板もなく、電線は剥き出しの状態でした。きょろきょろ見ていると、奥から出てきた奥様が「先生、驚かれたでしょう」と言いましたので、私も正直に「はい」と答えてしまいました。そこで奥様が「わたしのこれまでの人生をお話します」と話されました。

 

 その方はわたしたちの教会のある町の、まちでも十指にはいる資産家のお嬢さんで、なに不自由なく育ちました。女学校をでてすぐに隣町の資産家の家に嫁ぎましたが、女学校時代の友人たちから、「あなたはしあわせな人だ、あなたみたいなしあわせな人はいない」と言われました。

 

 確かに嫁ぎ先は裕福な資産家で、大きな屋敷の真ん中には池があり、その向こうには総檜造りの離れがあり、お手伝いさんも何人もいるような家で、何もしなくてもいいような不自由のない生活でした。しかし、愛のない家庭でいつも寂しい思いをしていたようです。そして夕方に屋敷の前を大八車を引いて家に帰る貧しい百姓夫婦の睦まじい姿を見て、彼らの方がよほど幸せに思えたそうです。

 

 そのうちに主人が病気で亡くなり、続いて長男も結核で亡くなりました。そんな不幸のどん底にあるときに日本は戦争に負け、戦後の政府が「農地改革」で大地主から田畑を取り上げて小作人に与える政策で、その家もたくさんあった土地を失ってしまいました。

 

【農地改革】農地の所有制度を改革することで、戦後(194750)GHQの指令に基づき行われた土地改革で、不在地主の全所有地と在村地主の貸付け地のうちで、平均一町歩(北海道で四町歩)を超える分を、国が地主から強制買収して小作人に売り渡した。この結果、地主階級は消滅した。(広辞苑)

 

 またあるとき見たこともない「親戚だ」という人が現れ、「政府はこれから山林も改革するようだ。今のうちに売っておいたほうがいい」と騙して、山林の権利書と印鑑をもっていってしまいました。その人はそれ以来姿を現さず、気がついたときには山林だけではなく、家屋敷まで売り飛ばされていたのです。そこで、その家屋敷は人手に渡し、残された小さな土地に家を建てて仮住まいとしていたのを知りました。

 

 そして、農地改革した政府を恨み、また騙した人を恨んでいましたが、ある日、その町の教会に賀川豊彦先生を迎えて特別集会があり、出席してはじめてキリスト教に出会ったのです。集会で神の愛を知り、イエスが十字架の上で、自分を十字架にかけて殺そうとする人たちに「父よ、彼らをお赦しください、彼らは何をしているのかわからないからです」と赦しの愛を知り、騙した人を赦すことができたのです。そしてはじめて、今まで自分が知らなかった平安が与えられたと言うのです。

 

 そして、その方は最後、「先生、今のわたしの心境を言いましょうか」といい、『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい』、と朗読したのです。それを聞いてわたしは驚きました。人に騙され、何もかも失い、どん底の人生にあるのに、よくもこんなことが言えるなあと感心して聞いていましたが、これも彼女が教会に行って救われたからです。

 

 最後に、ルカ福音書1215節に『たといたくさんの物を持っていても、人のいのち(幸福)は、持ち物にはよらないのである』とありますが、つまり、たくさんの物をもっていても、それだけでは決してしあわせとは限りません。イエス・キリストを信じて救われて、はじめて平安が与えられてしあわせになるのです。     (2014.08.10)