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2014年8月3日

わたしが出会った人物シリーズ①

ある老夫婦の物語

 

『だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである』。
  (コリント第二517)

 

 長く牧会をしていますといろいろな人に出会います。そして、そんな人を通して数々のことを教えられてきました。そこでわたしの牧会生活の総決算として、それらの人を通して教えられたことをまとめてみます。

 

 まず「ある老夫婦の物語」です。この夫婦は老後、小高い山を開拓して果樹園を経営している息子さんの離れに住んでおられた老夫婦で、六畳ほどの離れで静かに余生を送っておられました。しかし、二人の生活の様子をみると決して仲のよい夫婦とは見えませんでした。その一例としてこんなことがありました。

 

 ある日、お爺さんが町で大福餅を買ってきて一人でパクパクと美味しそうに食べていました。するとお婆さんも欲しく「これ一つおまえにやる」と言ってくれるのを待っていましたが、お爺さんは知らぬふりをして自分一人で食べているのです。我慢できなくなって「わたしにも一つください」と言うと、「これは町で○○円した」と言うのです。そこでお婆さんは自分の財布からお金をだして大福をもらって食べたというのです。

 

 またある日、お爺さんが風邪気味で洟が出るのでお婆さんに「ちり紙をくれ」と言うと、お婆さんはタンスの引き出しから出して、「これは○○円です」と言い渡すと、お爺さんは自分の財布からお金をだして渡す、といった始末でした。それを見ていて息子さんは「あれでも夫婦か」と嘆いていました。

 

 このお爺さんは若い頃は地方新聞の記者で、伝記作家でもあり、かなり優秀な人だったようです。ただ一つ欠点は身持ちが悪く、そのために奥さんを嘆かせていたのです。しかし、歳をとると誰からも相手にされず寂しい余生を送っていました。

 

 このお爺さんの人生に転機が起こりました。ある日、息子さんの家族と一緒に食事をしているとき、五歳の孫が「今日も、お爺さん、お婆さんをお守りください」と祈った言葉を聞き、こんな小さい子供が自分たちのことを祈っている、と驚くとともに感動したのです。

 

 そして息子さんに「俺も教会に連れていってくれ」と言ったのです。そして教会に通うようになり、自分のこれまでの放蕩の人生を悔い改めたのです。それから後は静かな余生を送っておられましたが、最後は平安で静かに、文字どおり「蠟燭の火が消えるように」召天されました。召される少し前に、わたしが訪問したとき、お祈りをして部屋を出ようとすると、お爺さんは手を振って送ってくれたのです。それを見た息子さんが、家族の者も、親戚の者も部屋に入れてもくれないのに、牧師だけ部屋に入れて、しかも手を振って送り出すなんて…、と感心していました。

 

 そのお爺さんのお葬式は教会でしましたが、息子さんは自分の農園で使う耕運機にリヤカーを連結して、(天国に行ったのだからと)それに紅白の布を巻いて町の真ん中を堂々と運んできました。

 

 お爺さんのお葬式が終わって間もなくして、お婆さんも息子さんに連れられて教会に行くようになりましたが、ある日、お婆さんが押入れの奥から桐の箱を見つけて、「これ焼くなり、棄てるなりしてくれ」と息子さんのところに持ってきました。その箱のなかには大学ノートが数冊入っていましたので、中を覗いた息子さんは騒然としました。そのノートにはお爺さんに対する恨み、呪い、憎しみの言葉がぎっしりと書いていたのです。息子さんが「これをどうしましょうか」と言ってきましたので「そのまま焼いて、お婆さんの憎しみ、恨みのお葬式をしましょう」と勧めましたが、そのお婆さんも間もなく静かに天に召されました。

 

 『だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である』とありましたが、このような複雑な関係の老夫婦も、晩年には教会に行くようになり救われたのです。そのためにお婆さんも恨み憎しみがなくなり、そんな恐ろしい大学ノートがあったことさえ忘れてしまったのです。

 

 キリスト教は「生まれ変わりの宗教だ」と言われますが、イエスキリストを信ずるときに、神はわたしたちを生まれ変わらせてくださいます。罪人が罪赦されて神の子としてくださるのです。これがキリスト教の救いです。

 

 エリコの町にザアカイという人がありました。彼は取税人で過酷な取り立てをするので町中の者から嫌われていました。その町にイエスが来られたのです。しかもザアカイの家を尋ねられたので、町中の人たちはイエスに躓きました。「何であんな人のところに行くのか」、イエスの行動を理解することができませんでした。

 

 ところが、イエスと交わり、一緒に食事をしているうちにザアカイは変わったのです。彼は突然言いました、「わたしの全財産の半分を、貧しい人に施します。また不正な取り立てをした人には四倍にして返します」と。彼をこんなに変えたのはイエスの愛に触れたからです。そしてザアカイはその通りに行いましたので町中の人は、「ザアカイが変わった」と喜んだのは言うまでもありません。もう一度言います「キリスト教は生まれ変わりの宗教だ」と。     (2014.08.03)