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2014年7月27日

無理に負わされた十字架

 

『それから十字架につけるために引き出した。彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた』。(マタイ福音書2731)

 

 今日はクレネ人シモンの話をします。彼はイエスの十字架を無理に負わされましたが、それが彼の生涯を一大転換することになりました。彼の故郷はアフリカの北部の地中海沿岸のクレネで、今日のリビヤに住むユダヤ人です。彼も過越の祭を祝うためにエルサレムに来ていました。

 

 「過越の祭」とは、ユダヤ人の三大祭の一つで、彼らの先祖がエジプトから脱出した記念として大切に守られてきました。そしてまたこの日はユダヤ民族の誕生を意味する重大な記念の日でした。

 

 この前々日の木曜日にイエスはゲッセマネの園で大祭司の手の者に捕らえられ、翌日(金曜日)の早朝にローマの総督ポンテオ・ピラトの裁判を受けて死刑を宣告されました。そして、すぐさまエルサレムの郊外にあるゴルゴダの丘で処刑するために連行される道中の出来事でした。

 

 重い十字架を負わされたイエスは幾たびも倒れ、業をにやしたローマ兵は、近くで見物をしていた屈強な男クレネ人シモンに代わりに十字架を負わしたのです。彼は自分と何の関わりのない人の十字架を負わされて、群衆は自分が極悪人の死刑囚と思われないかと、彼の心の中は煮えくり返るような思いでしたが、ローマ兵には逆らうことができず、渋々従いました。

 

 ようやくゴルゴダの丘につき十字架から解放されましたが、身代わりに負うた人のことが気になり、直ぐに立ち去ることはできず、両手両足を釘打たれて十字架に掛けられたイエスを注視していました。そして、十字架上のイエスの威厳に満ちた気高い姿、しかも、「父よ、彼らをお赦しださい。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」という祈りを聞いたとき、シモンの心に大きな感動を与えたのです。それからシモンはエルサレムに帰ってイエスの弟子たちの仲間に加わり、熱心な信者となったのです。

 

 使徒行伝131節に『アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれていたシメン…がいた』とあります。この「ニゲル」とはニグロ(黒人)のことで、彼は北アフリカの人ですから、色が黒かったに違いありません。また「シメオン」はシモンのことで、クレネ人シメオンはこのアンテオケの教会にいたのです。このアンテオケとは初めて「クリスチャン」と町の人々から呼ばれたような恵まれた教会だったのです。そして、その教会で人を紹介するときに、バルナバに次いで二番目に名前が上げられるほどの人になっていたのです。

 

 ところが、彼が信者になったことにより、彼の家族が恵まれたクリスチャンになっています。マルコ福音書1521節をみると『そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外から通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた』とありますが、このシモンのことをいうときに「アレキサンデルとルポスの父」と言っているように、初代エルサレム教会では子供たちの方が有名になっていたのは興味深いことです。またローマ書1613節には『主にあって選ばれたルポスと、彼の母によろしく。彼の母は、わたしの母でもある』とあります。これはシモンの妻のことで、パウロから「わたしの母」と言われるほどに恵まれた女性だったようです。(201407.27)