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2014年7月20日

キリストの再臨信仰

 

 

『だから目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである』。(マタイ福音書2513)

 

 イエスはマタイ福音書24章で再臨の預言をしておられます。そして25章ではその再臨を待ち望む者の心構えを語っておられます。そこで今日は「キリストの再臨信仰」についてお話します。

 

 2421節で『その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである』と預言をしておられますが、これは世の終末に起こる患難時代を預言しているのです。この患難時代は7年間でその後半の3年半は大患難時代と言われます。しかし聖徒たちはその前にキリストが再臨され、天に携挙(けいきょ)されるのです。その有り様はテサロニケ前書413節から18節にわたって記されています。

 

 『主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互いに慰め合いなさい』。

 

 これは患難時代が起こる前にキリストが空中に再臨され、先に召された聖徒たちを天に携挙さるのです。それから生き残っている聖徒たちを同じく天に携挙されます。そして天で先に召された愛する聖徒たちと再会するのです。ですからわたしたちはこのキリストの再臨の時に天に携挙されるように聖い生活を励んでいるのです。

 

 次に、キリストの再臨の時は、神の隠された秘儀です、36節にイエスは『その日、その時は、だれも知らない。天の御使いたちも、また子(イエス)も知らない、ただ父()だけが知っておられる』とあります。ですから、「目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには分からないからである」とあります。また44節には『だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけないときに、人の子(キリスト)がくるからである』とあります。

 

 そして25節の「十人の乙女」の譬え話で、油断をしないで待ち望むことを教えているのです。これはある家に婚礼があって花嫁の友だち十名が招待されていました。彼女たちは各自あかりを用意して参列していましたが、花婿の到着が遅れたためそれぞれ用意をしていた灯油の油がなくなり火が消えそうになりましたので、賢い(用意のいい)五人の乙女は別に用意していた余分の油を注ぎましたが、他の五人の乙女は余分な油を用意していなかったので、町に買いに行って戻って来たときは、花婿は到着して既に婚礼は始まっていました。そして婚礼の家の門は閉じられていたのです。

 

 ここで教えられることは、キリストの再臨もいつあるか、「その日、その時」が分かりませんので、わたしたちはいつ主が来られてもいいように、油断をしないでいることが大切であることを注意しているのです。そして、この油は聖霊です。恵まれたクリスチャンはいつでも聖霊の油を注がれて、魂が恵まれていなければなりません。

 

 ローマ書1311節『あなたがたは時を知っているのであるから、特にこのことを励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている』とあります。油断をして怠惰な眠りにつくことがないように気をつけたいものです。 (2014.07.20)