本文へスキップ

message

2014年7月13日

み心にかなう願い

 

『イエスは答えて言われた、「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」』。(マタイ福音書2022)

 

イエスの弟子ゼメダイの子らの母がイエスのところに来て、「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉を(約束をして)ください」、と言って来たのです。これは自分勝手な願いで、自分のことしか考えていないのです。そのときイエスは「自分は何を求めているのか、わかっていない」と言ってたしなめられましたが、わたしたちも自分のことばかりでなく、神のみ心にかなう願いをしたいものです。ピリピ書23節に『おのおの自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい』とあります。

 

 またヨハネ第一の手紙514節には『何事でも、神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞き入れてくださる』ともあります。わたしたちの願い求めることも、神のみ旨にかなうものでありたいものです。そしてソロモン王の願い求めたことはまさしくそれでした。

 

 列王記上33節に『ソロモンは主を愛した』とあります。そこで神はソロモンに『あなたに何を与えようか、求めなさい』と言われましたが、そのときソロモンが求めたものが神のみ心にかなったのです。彼は『わたしは小さい子供で、出入りすることを知りません…それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください』と求めたことが神のみ心にかない、知恵が与えられました。

 

 『そこで神は彼に言われた、「あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず。まだ自分のために富を求めず、自分の敵の命をも求めず、ただ訴えを聞き分ける知恵を求めたゆえに、見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起こらないであろう』と知恵が与えられたのです。『またあなたの求めないもの、すなわち富と誉れをもあなたに与える』と約束されたのです。これはソロモンが求めたものが神のみ心にかなったからです。

 

 そのときに与えられた知恵は「ソロモンの知恵」として後世にまで語り伝えられるようなものでした。箴言、伝道の書、雅歌はソロモンの作で、これを読むとソロモンの知恵がどんなものか知ることができます。また429節以下には『神はソロモンに非常に多くの知恵と悟りを授け、また海べの砂原のように広い心を授けられた。ソロモンの知恵は東の人々の知恵とエジプトのすべての知恵にまさった。彼はすべての人よりもり賢く…その名声は周囲のすべての国々に聞えた。彼はまた箴言三千を説いた』とあります。また『諸国の人々は、ソロモンの知恵を聞くために来た』ともあります。これは彼の願いが神のみ心にかなったからです。

 

 コリント前書1033節には『何事にも、すべての人に喜ばれるように努め、多くの人が救われるために、自分の益ではなく彼らの益を求めている』とパウロが言っていますが、これがパウロの伝道者の姿勢であったのです。われわれ神に仕える者は、どんなときでも「自分のため、自分の利益のため」であってはなりません。つまり、「神のため」「人々のため」が最優先順位でありたいものです。また、そのような求めを神は答えてくださるのです。

 

 イエスが十字架に掛けられる前に、ゲッセマネの園で最後の祈りをされました。その祈りは血の汗が滴るような真剣な祈りでした。そのときイエスは「わが父よ、もしできることなら、どうかこの杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの思いのままではなく、みこころのままにしてください」と祈っておられます。わたしたちが何か求めるとき、神の立場に立って「どうすれば神の益になるか」と判断することが大切です。そうして神のみ心にかなう祈りを聞いてくださるのです。

 

 最後に、ヤコブ書15節に『あなたがたのうち、知恵に不足しているものがあれば、その人はとがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば与えられるであろう』とあります。  (2014.07.13