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2014年5月25日

赦し合いなさい

 

『互いに忍びあい、もし互いに責むべきことがあれば、赦しあいなさい。主もあなたがたを赦して下さったのだから、そのように、あなたがたも赦し合いなさい』。   (マタイ福音書186節)

 

 今日は「赦す」ということについて話します。イエスもマタイ福音書1825節に「赦し合いなさい」と語っておられますが、これは相手が謝ってくれば赦すということではなく、謝ってこなくても、また悔い改めてこなくても赦すということですから、余程、神の大きな愛がなければできることではありません。

 

この話のはじまりはペテロの質問からでした。彼は「兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たび赦さなければなりませんか。七たびまでですか」。それに対してイエスはペテロに言われました。「わたしは七たびとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい」と答えられましたが、ペテロが「七たび」といったのは、パリサイ人たちは「三どまで赦せ」と言っていたので、少し多いめに言ったのに過ぎませんでした。

 

それに対してイエスは「七たびを七十倍するまで赦せ」と言われたのです。「七たびを七十倍」とは四百九十回まで赦せと言われたのではなく、相手が悔い改めてくるならどこまでも赦せと言われたのです。それは前掲のみ言葉に『もし互いに責むべきことがあれば赦し合いなさい。主もあなたがたを赦して下さったのだから』とあります。つまり赦しの根拠は、わたしたちも神から赦されたものだからです。

 

イエスが十字架上で『父よ、彼らをお赦しください。彼らはなにをしているのかわからないからです』と、いま自分を迫害して殺そうとする者たちのために罪の赦しを祈られましたが、この祈りは多くの者たちに多大な感化を与え、救いに導きました。

 

戦時中、日本軍に捕らわれて捕虜になった空軍搭乗員のデジエザーは日本兵に厳しく扱われて、日本人を憎んでいましたが、アメリカから送られた慰問袋の中に入っていた小型の新約聖書を読むうちに、このイエスの十字架上の祈りに出会い、彼は変えられたのです。そして戦後、アメリカに帰って、神学校に行って伝道者となり、再び日本に来て、日本人のために伝道をしたのです。彼の「憎しみを愛に変えた」のです。これも彼がイエスの愛に捕らえられたからです。

 

先日、あるテレビ局の福音番組で、吉本新喜劇の岡八郎の娘さんが、ゴスペルシンガー(福音歌手)として登場して話をしていました。お父さんは極端なアルコール中毒で吉本から首になるほどでした。そのためにお母さんは早く亡くなり、そのようなお父さんを憎んでいましたが、娘さんが救われてクリスチャンになってから、父のことを赦せるようになったそうです。そして親子関係が回復し、お父さんも娘さんの歌うゴスペルを喜んで聞いてくれるようになった、と話していました。

 

神学校を卒業した若い伝道者が、地方の小さな町の教会に遣わされました。教会はありましたが、人はさっぱり集まりませんので、この町の人たちが救われるようにと一生懸命に祈っていました。

 

そして、夏が来て教会の中が暑くなりましたので、近くの川原に出て橋の下で祈っていました。そこへ午後の炎天下を百姓さんたちが大八車に肥やしを積んで畑に運んで来ました。橋の途中で一休みをして汗を拭っていましたら、橋の下で誰か若い者が居眠りしているのが見えましたので、よく見ると最近この町に来た教会の牧師だったのです。われわれ百姓がこの炎天下で働いているのに、この若造が昼寝をしている、とむらむらした百姓は車に積んでいた肥を頭の上からバサッとぶっ掛けたのです。

 

いきなり肥をかけられた若い伝道者は驚いて上を見ると百姓が笑っているのです。腹が立って怒ろうとしましたが、臭くてたまらずに川の中に飛び込みました。そして身体を洗って橋の上をみたときには誰もいませんでした。そのとき、イエスが十字架の上で祈られた「父よ、彼らをお赦しください。彼らはなにをしているのかわからないからです」という言葉を思い出し、彼の祈りは赦しの祈りに変わったのです。それから数カ月後、この町でいちばんの資産家の家で、跡取りの兄が、余命いくばくもない妹を不憫に思い、「おまえ、なにかしてほしいことはないか」と声をかけましたら、妹は「教会の先生を呼んできてほしい」と言いました。そこで教会に使いを寄越して牧師を招きました。

 

妹は牧師の顔を見るなり、「先生、わたしは見ていたんですよ」といわれましたが、牧師にはなんのことか分かりませんでした。そして、あの夏の炎天下の出来事を話し、「先生はあのとき、どうして怒らなかったのですか。わたしは今にも大喧嘩になるとはらはらしていました」と話したのです。事情を理解した牧師は「わたしもほんとうは腹がたちました。そんなときにイエスさまが十字架上で祈られた「父よ、彼らをお赦しください…」という祈りを思い出しました。そして、また「敵を愛し、迫害するもののために祈れ」と言う言葉も思い出して、憎しみが赦しの祈りに変わったのです、と話しました。それを聞いた妹さんはいたく感動し、「先生、これからわたしに聖書の話をしに来てください」と乞われて、その家で二人だけの集会がはじまったのです。

 

 それから数カ月後に妹さんは天国に召されましたが、本人の遺言により教会で告別式が営まれました。これは若い牧師がこの町に遣わされてはじめてのキリスト教式の告別式でした。

 

 それから数十日後に妹さんの記念会が開かれ、町の大勢の人たちが集いました。その席でお兄さんが「妹がなくなった後、布団の下から日記帳が見つかりました。そのなかに「わたしはどうしてキリスト教徒になったか」と題して、一文がありましたのでそれを読みます」と言って、はじめてのキリスト教との出会いとなった、あの夏の橋の下でのできごとを読みました。そして橋の上から肥をぶっかけられたところまでくると、一人の男性が「ワー」と叫んだのです。そして「それはわたしだ」と告白をしたのです。

 

 それから、その人は教会に行って牧師に詫びただけでなく、それから熱心に教会に通い、洗礼を受けて熱心なクリスチャンとなりました。この人を救ったのは「赦し」だったのです。

 

 憎しみは新たな憎しみを生みますが、赦しはすべてを解決するのです。昔、ローマ教皇がアラブの青年に狙撃された事件がありました。さいわい一命をとりとめましたが、このニュースは世界のカトリック教徒だけではなく全世界に衝撃を与えました。ところが退院したとき教皇は病院の玄関のところで「わたしは、もう赦しました」と語ったのです。さすがにカトリックの頂点に立つ教皇です。

 

 イエスも姦淫の女性に対して「わたしもあなたを罰しない。ふたたび罪を犯さないように」と言われました。このイエスの言葉でこの女性は救われて生まれ変わったのです。

そしてイエスが十字架に掛けられたとき、最後まで従ったのです。人を救うのは「人を責めるのではなく、赦すこと」です。わたしたちも神から大きな愛をいただいて人を愛し赦すものとされたいものです。   (2014.5.25)