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2014年5月11日


幼な子のようになる

 

『そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい天国ではだれがいちばん偉いのですか」。すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて言われた、「よく聞きなさい、心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである」』(マタイ福音書183)

 

 ここに「心をいれかえて」とありますが、これは「悔い改めて」という意味です。つまりイエスは「悔い改めて、幼な子のように素直にならなければ、天国に入ることはできない」と言っておられるのです。人間にはなかなか素直になれないところがあります。そして素直な人に対しては「あれは単純だから」と軽蔑する人がいます。

 

 また神に対しても「わたしは理知的だから信じられない」と言います。しかし詩篇511節には『愚か者は心のうちに「神はいない」と言う』とあります。この「愚か者」とは罪人という意味で、罪人だから神が信じられないのです。「神を信じない」なんて自慢したり、誇れるものではありません。神は素直に信じる者を愛し、恵んでくださるのです。

 

 次に『この幼な子のように、自分を低くするものが、天国でいちばん偉いのである』とあります。この「自分を低くするもの」とは、「へり下った人」「謙遜な人」のことで、これが天国に入れる条件です。なぜなら天国は「狭き門」だから、高ぶった人は入れません。

 

 ところが、人間は直ぐに高ぶる癖があります。そして自分がいかに偉い人間であるか見せようとします。しかし、どんなに高ぶっても所詮、弱い存在です。ただ本当の自分に気がついていないだけです。本当の自分を知ったら謙遜になります。

 

 優れた人は決して高ぶりません。むしろ謙遜になります。それはもっと上があることを知っているからです。学問の世界でも「極めれば極めるほど」奥が深いことを知り、ますます謙遜になるものです。そして、そんな人は「その言葉づかいにも」「物腰にも」現れます。

 

 96歳まで牧師をしておられた老牧師がおられました。その先生は人と挨拶をするとき腰を二つに折って挨拶をされるのです。わたしたち若い者に対しても同じように接してくださるのです。それを見た息子さんの先生は「商売人みたいだ」と言って嫌っておられましたが、わたしは「謙遜な先生だなぁ」と、いつも感動していました。「実るほど、頭(こうべ)を垂れる、稲穂かな」とありますが、これは実がたくさんある稲穂のほうが頭が垂れて低いという意味で、「優れた人、出来た人ほど謙遜だ」という意味です。

 

 柘植不知人先生が救われて最初にしたのは警察官に対する伝道です。それは以前、自分の行方不明になった妹の捜索願を出しに警察に行ったときに、警察官の対応があまりにも冷淡だったので、「まずこの人たちが救われなければ」と感じたからです。そこで神戸のある警察署を訪問したときに、奥から出てきた警察官が先生を迎え入れたのはいいのですが、彼の方から「この宗教の教えはこうだ」「あの宗教の教えはこう」と、柘植先生が口を挟む余地のないほどたてつづけに話だしました。

 

 そこで先生は、今日は駄目だと聖書のある箇所をメモに書いて辞しました。その聖書のみ言葉は『もし人が、自分が何か知っていると思うなら、その人は知らなければならないほどのことすら、まだ知っていない』(コリント前書82)とあったのです。

 

 それから、またその警察署を訪問したら、またその警察官が出てきて、「先日は、知ったかぶりをして失礼しました、今日は先生のお話を伺います」ととても低姿勢でした。やはり宗教を研究している人らしく、この聖書のみ言葉の意味が良くわかったようです。そしてその警察官は先生の話を聞いて救われ、クリスチャンになったそうです。

 

 昔(戦後)神戸で伝道しておられた宣教師がこんな話をしておられました。休暇で故国アメリカに帰ったとき、原子力研究所の職員に話をしてくれと頼まれました。この研究所で働いている人はみな物理学博士たちの世界で、こんな人たちにどんな話をしたらいいのか当惑したそうです。そして祈って導かれ話したのが、自分の生い立ちから、どうして信仰に入ったのか、また、どの様に導かれて日本伝道のために宣教師になったのか、単純な話をしたそうです。ところが集会の後で、研究所の皆さんから、「今日は、いい話を聞かせていただきました」とご挨拶を受けたそうです。つまり極めた人たちは実に謙遜だったのです。

わたしたちも謙遜の人、へり下った人にされたいものです。

 

コロサイ書312
 『あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙遜…を身に着けなさい』。

ペテロ前書55
 『みな互いに謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである』。(2014.5.11