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2014年4月20日

主はよみがえられた


『御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである
                 (マタイ福音書286節)


 キリスト教の大切な信仰は「十字架」と「復活」です。十字架はイエスが十字架で死んでくださったことによって、わたしたちの罪の贖いが完成したからです。また復活は、イエスがサタンの力に打ち勝って墓からよみがえられた、と言うだけではなく、わたしたちも復活するという約束が成就したからです。


 つまり、イエスが復活されたことにより、わたしたちにも、その約束の永遠の命を与え、復活するという希望が明らかにされたのです。ですから、この日を世界中のクリスチャンが喜んでいるのです。復活はわれわれクリスチャンの希望であるばかりでなく、生きる勇気と力が与えられるからです。


 ある人が、何か宗教を持ちたいといろいろな宗教の本を読みあさった結果、キリスト教を選んだのです。それは「キリスト教には復活がある」ということでした。


 また、仏教の僧侶がキリスト教に入った人の本を読みましたが、彼も仏教に物足りなさを感じて、聖書を読んでみたところが「キリスト教には復活がある」ということを発見したので、仏教から転向してクリスチャンになり、その後、神学校に行って学び、牧師になりました。そのように彼を変えられたのは復活の信仰でした。


 また、復活の信仰は、われわれに生きる信仰を与えるばかりか、死に対する恐怖から解放されるのです。ヘブル書215節に『それは死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自身の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者を解放したのである』とあります。


 「信心なんて弱いものがすることだ」と言って、娘さんの話を受け付なかったお爺さんが、体調を崩して入院しましたが、自分は死ぬのではないかと、不安で夜もマンジリともしませんでした。それを見た娘さんが「教会の先生を呼んできましょうか」というと「呼んできてくれ」と言いますので、自分の行っている教会の牧師に来てもらいました。そして牧師が聖書の話をはじめ、イエスの十字架と復活に話がおよびますと、そのお爺さん、待ちきれなくなり、自分の方から「わたしに洗礼を授けてください」と言ったのです。


 そして洗礼を受けてからお爺さんは、すっかり人が変わったようになりました。数年後、人生の終わりのときを迎えましたが、大勢の人たちの見守るなかを、手を上げて「万歳、万歳。筒一杯の感謝をささげます。わたしはこれから天国に凱旋します」と言って息を引き取ったのです。病院にいるときは、不安でたまらなかった人が救われて平安になったのです。復活の信仰をいただいたからです。

                         (2014.4.20