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2014年4月20日

カナンの女の信仰


『そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見上げたものである。あなたの願いどうりになるように」。その時に、娘はいやされた』。 (マタイ福音書1528節)

 

このところはカナンの娘の病気が癒された、という奇跡の物語です。そしてこの奇跡が起こったのは母の信仰でした。

 その場所は、ツロとシドンとありますが、これはガリラヤ湖から北西の地中海沿岸の町でした。なぜイエスがこんな遠く離れた地方に来られたのかと言えば、急速に高まったイエスに対する律法学者やパリサイ人たちからの憎悪から逃れるためでした。

 ここでイエスは一人のカナンの女性に出会ったのです。この女性は「娘が悪霊につかれて苦しんでいるので救ってほしい」と願ってきたからです。しかも、彼女は「叫びつづけた」とあります。ですからイエスにとっては複雑な心境でした。それは同胞のユダヤ人ではなく、異邦人であるこの女性がイエスに救いを求めてきたらからです。

 そこでイエスは「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのはよろしくない」と冷たく突き放しましたが、女性はそんなことにはひるまず、「主よ、お言葉どおりです。でも小犬も食卓から落ちるパン屑はいただきます。」と、イエスの憐れみを求めたのです。

 それを聞いてイエスは、「あなたの信仰は見上げたものである、あなたの願いのとうりになるように」と褒められたのです。ところが、そして「その時に、娘はいやされた」のです。つまり奇跡が起こったのです。ここで祈りのときの姿勢について教えられるのです。つまり、祈るときは、その祈りが聞かれるまで、「得るまで、成るまで、その祈りが聞かれるまで」、諦めないで祈りつづけることです。

 ルカ福音書118節に「しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので起きあがって、必要なものを出してくれる」とあります。これはイエスが語られた祈りについての譬え話です。話によると、友人が真夜中に突然尋ねてきましたが、まだ夕食もしていない様子でしたが、家のなかにはなにも食べ物がありませんでしたので、隣の家に「何か食べるものを貸してほしい」と頼みましたが、真夜中のことでしたので返事もしてもらえませんでした。ところが、その人は戸を叩き続けました。

 あまりにもしつこく叩きつづけたので、その家の人は根負けして与えてくれた、というのです。ここで「しきりに願うので」とありますが、これは文語訳では「求めの切なるによりて」とあります。とにかく祈りが聞かれるまで、諦めないで祈りつづけることが大切です。

 そしてその後、「求めよ、そうすれば与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば開けてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者は開けてもらえるからである」とあります。そしてこの「求めよ…」は、「求めつづける」ということです。また「捜せ」とは「見つかるまで捜しつづける」ことです。「門をたたけ」とは「たたきつづける」ことです。ですから、いちど求めても駄目だからと言って諦めないで、投げ出さないで、聞かれるまで祈りつづけることが大切なのです。

 ヨハネ福音書11章に死んで四日もたっていたラザロが生き返ったという奇跡が書いてあります。ところはエルサレムの近くのベタニヤ村でのことでした。ここのマルタ、マリヤの弟が病気で危篤の状態になりましたので、イエスのところに「来て弟を癒してほしい」と使の者を寄越しましたが、イエスは直ぐには駆けつけることはできませんでした。そしてイエスが駆けつけたときはラザロは死に、既に墓に葬られていました。

 イエスはラザロの墓に向かわれ、側の者に「(墓の)石を取りのけなさい」と言われましたが、ラザロの姉が「主よ、もう臭くなっています。四日もたっていますから」と言いました。ところがイエスは『もし信ずるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに行ったではないか』と言われて、石を取りのけたところが奇跡が起こったのです。死んでいたラザロが生き返ったのです。どうしてこのような奇跡が起こったのでしょうか。それはイエスのおことばを信じて石を取りのけたからです。

 わたしたちも、不信仰の石、諦めの石をしている問題はありませんか。もういちどその石を取り除いて祈ってください。『もし信ずるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか』。


 山手教会も今年が創立85周年になります。その起点は奇跡的癒しでした。父はそのころ尼崎の伝道館で働いていましたが、あるとき京都の医師、佐伯理一郎先生から、「神戸の川本さんのお婆さんが危篤状態だから行って祈ってほしい」と連絡がありましたので、川本邸に行き、お婆さんの枕元で一晩中徹夜して祈りましたら、翌朝には奇跡的に癒されたのです。それから、その家庭で家庭集会が開かれるようになりました。そこで父は神戸での開拓伝道の志が与えられ、尼崎の伝道館を後輩に譲って神戸での伝道を開始を始めました。それから四年目に現在の会堂が与えられたのです。

 医師から「もうだめです。手の施しようがありません」と見捨てられた人ですが、神の癒しの力を信じて祈ったときに、神は奇跡を行われたのです。ですから、わたしたちも最後まで信じて祈っていくことが大切です。             
2014.04.06