本文へスキップ

message

2023年1月29日聖日礼拝説教要旨

聖書箇所 使徒行伝16章11節~15節      


      「聖霊に心を開かれて」


「テアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという婦人が聞いていた。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた。そして、この婦人もその家族も、共にバプテスマを受けた」          
(使徒行伝16章14、15節)

「そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて言われた、『こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。 そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。』 」  
(ルカ福音書24章45~47節)


 聖霊によって行く手を阻まれトロアスの港町で病に倒れ「万事休す」となった使徒パウロですが、対岸のヨーロッパの「マケドニアに渡ってきて、わたしたち助けて下さい」という「マケドニア人の幻(ヴィジョン)」を見させて頂いた時、「ただちに」ヨーロッパ伝道に赴きました(使徒16章9、10節)。

 使徒パウロたち一行は、「サモトラケ島」からマケドニア州の港町「ネアポリス(「新しい町」の意)」に到着し、ローマへの幹線道路「エグナティア街道」を15km内陸に進んで、ローマの植民都市ピリピに到着し、数日間滞在しました(16章11節、12節)。ところが、伝道の足掛かりの「ユダヤ会堂」を見つけられず、まずユダヤ人の「安息日」にユダヤ教の「清めの儀式」に都合の良い水の豊富な川岸などでもたれる「祈りの集会」行きました(16章13節前半)。

 すると、小アジヤ(今のトルコ)にありました商業都市「テアテラ市」から家族でヨーロッパに渡り、「名産の(むらさき)(ぬの)」をピリピの町で売っていたルデヤという婦人に会いました。当時、紫布は「高貴な色」として王様や貴族の間で使われた「高級品」です。ルデヤは相当の資本をもって商売をしていた裕福な商人でしたが、「この世の財や富では心が満たされない」との思いがあったのか、目には見えない真の神様を信じる「ユダヤ教」の理解者で、教えに忠実に従い安息日には礼拝を捧げていました。

 主なる神様はルデヤの心を開かれ、彼女はパウロの語る「救いの福音」を注意深く聞きました(使徒16章14節後半)。この「心を開く」ことは、目に見えない真の神様を信じる「キリスト教信仰」では大切なことです。主イエス様が復活された「日曜日の夕方」にも、主はお弟子達の中に現れて「聖書を悟らせるために彼らの心を開」(ルカ福音書24章45節)かれたのでした。

 私達人間は、たとえ大学・大学院という高等教育を完璧に修めても、生まれながらの理解力では「信仰の世界」のことは分りません。しかし、ひと度「聖霊なる神様」によって「心の目を開かれ」ますと、神様から語り掛けられた聖書の言葉を素直に受け止めて、真の神様を見い出して、その御方を信じて救いを体験することが出来ます。

 2017年に召天されたラジオ牧師の羽鳥 明先生の弟の純二さんは、東京帝国大学で化学専攻で火薬科に在学している時に終戦を迎えて後、共産党に入党してマルクス主義の闘士として共産党の機関紙・新聞の「赤旗」の編集員をしていました。羽鳥明先生が何度も、この弟さんに伝道されましたが、「どうしても信じられず」に共産党員になられた方でした。

 ところが、どういう訳かアメリカ留学から帰国した羽鳥先生を横浜港で出迎えられたので、明先生は帰国直後のイースター礼拝に誘われたら、共産党員だった純二さんが生まれて初めて礼拝に来てくれました。礼拝が持たれた教会は「納屋」を礼拝堂にした教会で、福島の田舎の教会の牧師先生が出張して「主イエス様が復活された」と説教されました。聞き取りにくい地方の言葉だったので誤解するような説教でしたが、先生は「皆さん、お釈迦さんは死に、日本人はその骨を拝んでいます。マホメットにもお墓があります。しかし神の子キリストは、私達の罪を背負って十字架に死んで三日目に復活されました。今、罪を悔改めてイエス様を信じるなら、あなたは救われ永遠の命を与えられ、新しい人生を出発するのです」と説教されました。

 羽鳥明先生は弟の純二さんの側にいて、「東大を卒業し、共産党の闘士で赤旗の編集員をしている弟を生まれて初めて教会に連れて来たのに、もう少しインテリ的な話をしてくれればいいのになあ」と思ったそうです。次の日曜日、羽鳥先生は駄目元で弟さんに「もう一度、教会に行こう」と誘われたら、不思議なことに「礼拝に行く」と言われたのでした。

 羽鳥先生は道中「神様、先週の福島の牧師先生でない先生がお話しして下さいますように」と祈られました。ところが、その日も同じ牧師先生が礼拝説教に来て、「詩編51編」から王様のダビデが恐ろしい罪を犯して悔い改めた、鋭く心に切り込んで罪の悔い改めを迫る「強烈な説教」をされました。最後に、「今朝、罪を悔い改めてイエス・キリストを救い主と信じる人はいませんか?」と言われた時に、弟の純二さんが最初に手を挙げて信じる応答をされました。

 羽鳥先生は帰宅して弟さんに「純二や、どうして信じたの」と尋ねられました。そしたら、「兄さん、ぼくは共産主義者として、共産主義こそ社会を改革するものだと信じ込んでやってきた。ぼくなりにまじめに、ぼくなりに一生懸命やってきた。しかし、だんだん、だんだん慣れてきて、共産党の内部の事情が分かり、内部に入り込んでくる時に、『ああ、人間って汚いものだ・・・』と思うようになった。兄さん、ぼくもそれと同じだったんだ」と言って羽鳥先生の前に罪を一つ一つ告白され「兄さん、ほくの信奉していたイデオロギーは、ぼく一人を改革することができず、革命することができなかった。イースターの日曜日に福島の牧師先生が『本当にイエス・キリストは神であって、あなたの罪のために死んでよみがえって、あなたを救うことができます』と言われた時、ぼくのような罪人を救うことができるとしたならば本物の神は他にはいないと思った」と言われました。

 この純二さんは、救われてクリスチャンとなり、福島出身の牧師の安藤喜市先生のもとで牧師となる訓練を受け、羽鳥明先生と共に「放送伝道」に携わられ、名古屋の長く牧師をされ、神学校の校長となられて2012年に天の主イエス様の許に召されました。

 どんな頑なな人でも、聖霊様によって「心を開かれ」「心の目を開かれ」ますと、神様からの語り掛けとして、聖書の言葉を受け止めて真の神様を見出し、その御方を信じて全き救いを体験するこが出来すのです。

 ルデヤは、神様の前で「主イエス様を、罪からの救い主であり人生の主」として信じて受け入れ、信仰の「告白の徴」として家族と共に洗礼を受けました(16章15節前半)。更に、彼女はパウロ一行を自宅に泊まるように「無理に承知させた」(16章15節後半[新共同訳])のでした。その後、ルデヤの家が「ピリピ教会」となり主の救いにあずかった兄弟姉妹が集まる所(16章40節)、また福音宣教の拠点となりました(ピリピ書1章5節[新改訳])。ルデヤのように主なる神様によって「心を開いて」頂くと「豊かな実」が結ばれるのです。

                 2023年1月29日(日)聖日礼拝説教要旨 竹内紹一郎