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2023年1月15日聖日礼拝説教要旨

神の限りなき愛


主は遠くから彼に現れた。わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。

それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた。(エレミヤ書31章3説)


このみ言葉はイスラエル民族がバブロンの地で捕囚になっていたとき、その捕囚民に対して預言者エレミヤが書き送った手紙です。そして内容はイスラエルの民に対して国の回復の予言でした。

ここで『限りない愛』とありますが、これは永遠の愛ということです。人間の愛は有限で、どんなに誓っていても時と場合によっては変わることがありますが、神の愛は永遠の愛で、一度愛すると言われたらどこまでも愛してくださるのです。例えば人間が神に背くようなことがあったとしても、神はどこまでも愛し続けてくださるのです。


それに対して人間の愛は虚しいものです。ホセア書六章四節に「あなたがたの愛はあしたの雲のごとく、また、たちまち消える露のようなものである」とあります。都々逸に「お前百まで、わしゃ九九まで、共に白髪がはえるまで」とありますが、ある家にとても仲のいい老夫婦がいました。とにかくヽいつも一諸に行動していましたので、町の人たちは「おしどり夫婦」と呼び、「わたしたちも歳をとったらあんな夫婦になりたいものだ」と噂されるほどでした。


しかし、「事実は小説より奇なり」とありますが、回りの人たちが思ったほどではなかったのです。ある日、お婆さんが病気になって寝込んでしまいました。それを知って人々は、「いまごろお爺さんは、甲斐甲斐しくお婆さんの面倒を見ているに違いない」と噂をしていましたが、事実は違ったのです。いつもそばにいてくれるお爺さんがいないので寂しく、「お爺さん」と呼びますと、お爺さんは襖の向こうから、「お婆さん、なにか用か」と返事をしますが、ちっともお婆さんの部屋に入ろうともしないのです。それは病気が感染するのが怖かったからです。それを知って町の人々は驚いたそうです。人間の愛はそんなものです。然し、神の愛は普遍的愛です。どこまでも愛し貫いてくだ‘さる愛です。


三浦綾子さんの小説に「細川ガラシャ夫人」という作品がありますが、著者はこの作品のなかで登場する明智光秀をとおして普遍的神の愛を書いています。明智光秀といえば、京都の本能寺で主君織田信長に謀叛して自殺させたために、関西地方では「光秀の三日天下」と言われて、あまり人気がありませんが、この小説の光秀は中々の人格者として書かれています。

彼は幼いときから神童と呼ばれ、やがて大大名になる器に違いないと嘱望されていました。この光秀には幼いときからの許嫁(いいなずけ)がありました。その相手は妻木蔭由左衛門煕範と言い戦国武将でした。許嫁は現代では死語になっているような言葉ですが、昔は親同士で小さい子供のころから結婚相手を決めることで、いまでは考えられないことです。そして光秀と妻木家の娘ひろ子とが許嫁でした。


そして光秀の十八歳のときに、いよいよ婚礼となりました。相手はひろ子十六歳でしたが、婚礼が近づいたとき、ひろ子が高熱になりました。両親が神仏に祈ったためにようやく熱が引きましたが、その顔は疱癒(天然痘)のために、美しい顔があばただらけになっていました。それを見た父は、こんな娘を貰ってくれるはずがないと、がっかりしました。しかし、明智家との縁談を断るのも惜しく、なんとかならないものかと考えました。そこで二歳年下の妹の八重をひろ子に仕立てて送りだしたのです。いわゆる替え玉です。この八重もひろ子に劣らず美人だったそうです。

今頃、明智家では婚礼が行われているであろうと考えていたとき、突然玄関の方が慌ただしくなりましたので、どうしたのか思っていると、八重が送り返されてきたというのです。替え玉が露顕したのです。父は武士をたばかったと戦争になると恐れました。


ところが八重の手には光秀からの手紙がもたされていました。父は震える手でその手紙を読みました。「世が許嫁せしはおひろ殿にて、お八重殿では御座なく候。たとえ面変わりなされし候えども、世が契るのはおひろ殿にて、お八重殿では御座なく候」と書いていたのです。そこで父は、いま八重を送り返されてきた輿にひろ子を乗せて送り出したのです。そして光秀とひろ子とは堅く愛情で結ばれ、二人の間に生まれたのがお玉で、後に細川忠興の妻になりました。そしてキリシタンになり受洗名をガラシャと名乗ったのです。


光秀がひろ子を迎えたのは、ここに光秀の愛があったのです。妹の八重も姉に負けぬくらいの美人でしたが、あばたのために断念したひろ子の心中をいとおしんだ(ふびんに思った)からです。そして作者はこの光秀に神の普遍的愛を描いたのです。

坊向輝國